ARBEIT MACHT FREI
毎年、夏になると、戦争や核兵器について改めて考える機会が多くなります。先日も、あるテレビ番組でナチスやヒトラーについて語る中で、強制収容所の跡地を紹介していました。
その収容所はダッハウといいます。収容所の入り口には、”ARBEIT MACHT FREI”という標語が掲げられています。
このドイツ語は、労働は人間を自由にする、働けば人は自由になれる、労働は自由を作る、といった意味だそうです。
こうした標語も含めて、ダッハウ収容所は、SS(親衛隊)が主導的に管理して、収容所のデザインや運営手法などを整理し確立していくことになるなど、アウシュビッツなど他の収容所のプロトタイプになった、と言えそうなものです。見方によっては、この収容所はナチスが実質的に最初に設けた収容所である、と言えるのかもしれません。
ここには、もともと政治犯や宗教関係者など、ナチスに敵対的だったり非協力的だったりした人々を収容していたようです。それらの人々とともに、同性愛者なども収容されたそうです。
このダッハウ収容所を舞台にして「ベント(Bent)」という演劇作品が生み出されました。1970年代にマーティン・シャーマンが朗読劇として書き、後に舞台用に戯曲化(日本語訳は青井陽治による)され、90年代には映画化されました。設定やストーリーから、この作品はナチスによる人間の尊厳の破壊、特にLGBTへの抑圧・迫害という点で語られることが多い作品です。
筆者が直接、「ベント」の舞台を観たのは、1980年代後半にパルコ劇場で上演されたものと、同じ時期に加藤健一事務所で上演されたものです。
興味のある方は、パルコ劇場のHP(PARCO STAGE)から2004年に上演された舞台の特設サイトを参照してみてください。「ベント」の詳細が解説されています。
何気なく見ていたテレビ映像にダッハウ収容所が映った途端に、これらの昔観た舞台の記憶が不意に蘇りました。
それは、ピンクのリボンを付けられた主人公ふたりが、戸外で岩を移動させるだけの”労働”を強制させられているシーンです。ちなみに、ダッハウではリボンの色によって収容者を区分しており、ピンクは同性愛者を示します。
ストーリーとしては、このシーンの中で主人公ふたりが、言葉も交わさず、直接触れ合うこともなく、次第に愛を交わすことができるようになるものの、やがて一人は精神が限界に達して、監視兵に射殺され、もう一人はその後を追う、というものです。
今でもこのシーンを覚えているのは、そうしたラブ・ストーリーや作品の前提となる歴史的事実によるわけではありません。
今でも強く印象に残っているのは、二人の男が交互に岩を運ぶ姿そのものです。一人が運んできた岩をもう一人が元の場所に運び戻す、という無意味な作業そのものに、とても大きなインパクトがあったからです。そして、その作業を”労働”と称していたのです。
いかにブラックな企業でも、さすがに岩を動かすだけの作業を仕事して与えることはないでしょう。その目的が、無駄な作業をやらせておいて、自ら退職を願い出るのを待つことであったとしても、です。
しかし、企業の事業目的から考えて、意味のある行為とは到底、思えないことを仕事としてやるように命じていることは、けっこう多くの企業で現にあるでしょうし、少なくとも過去にあったのではないでしょうか。
たとえば、データを入力して経営資料を作成している担当者がいます。できあがった経営資料は、コピーし製本までして、定例の会議で配布されることになります。受け取った経営幹部は、誰も1ページも開きもせずに、そのままデスクかキャビネットの奥に放り込みます。そして後日、極秘書類ということで処分されます。
その処分を担当する専任者がいたら、まさに「ベント」の岩運びと同じことでしょう。
担当している社員本人は、当初は、経営幹部向けに資料を作成するということでやりがいを感じていたかもしれません。しかし、資料が取り扱われている実態を知り、その情況が続けば、知らず知らずのうちに、仕事に意味を見いだせず、心や体が蝕まれるかもしれません。
むしろ、仕事の意味などまじめに考えることなく、生活のためにせよ、組織の一員でいる身分保障のためにせよ、機械的に作業をこなすほうが精神的には健全、とすら言えそうです。
もしかすると、「ベント」のほうは絶えず監視されているだけ、自分の存在は他者に認められているのに対して、見られることのない資料作りは、誰の注目も集めていない分、存在が忘れられていると言えるのかもしれません。なにしろ、収容所では、命じられた作業から逸脱すれば射殺される状況下にあるわけです。
ダッハウ収容所では、身体が壊れるか、心が崩れるか、自ら死を選ぶ(暴れたり脱走を企てたりすれば監視兵によって射殺される)か、という状況にあります。これこそ、文字通り、極限状態というのでしょう。
その収容所の標語が、さきほど紹介した”ARBEIT MACHT FREI”なのです。強制収容所における”労働”とは、生きるという苦役から人間を解放することなのでしょうか。
今の企業社会でも、程度の差はあっても、実は無意味な作業を仕事として命じることがあるかもしれません。もしくは、仕事の意味など考える余力がないところまで、作業をやらせ続けることがあるかもしれません。
もちろん、企業は収容所ではありません。最大の違いは、いつでも辞めて出ていく自由があることです。当たり前のことですが、ダッハウ収容所の映像から、改めて、そのことに思い至った次第です。
働く人にとってみれば、自由といっても、経済的自由なのか身体的自由なのか精神的自由なのか、それが意味するところを自覚しておくことも重要でしょう。辞める自由というのは、身体的自由と精神的自由が保障されているから成立するものですが、報酬などの経済的自由は失われます。
そのうえで、労働、仕事、働くということ、表現の違いはありますが、それらの行為と自由との関係を考えるきっかけとして、ダッハウ収容所や「ベント」をご紹介してみました。
一方、経営者にとってみれば、何をもって、労働とするのか、仕事として働いてもらうのか、ということを改めて見直していただく契機となれば幸いです。
もし、自社の仕事が「ベント」の岩運びに相当するものであるとしたら、いかに処遇が良くても、社員は辞めていくでしょう。
特に業績が良くてこれといった問題がないように見える企業こそ、日常の仕事の中に、いつの間にか岩運びが紛れ込んでいないか、十分に注意していただきたいと思います。
もちろん、業績が悪くリストラが必要な企業にとっては、当面は人員整理であったり、事業や資産を売却したりすることが、やるべき仕事でしょう。しかし、そればかりでは、残った社員もやがては辞めていくでしょう。心理的には、会社に残る=収容所にいる、となるかもしれません。
そういうときこそ、新しい仕事を創造することが、経営者の仕事となるでしょう。具体的に作業を指示するのではなく、これからチャレンジしていく事業・技術・市場などを示唆するとか、製品やサービスを陣頭指揮して開発することで、自社の核となるものは何か、社員とともに再発見するといったことが求められるのではないでしょうか。リストラ=事業の再構築=とは、本来は、こうした仕事の再定義を含んだ概念だったはずです。
労働が自由をもたらすようになるには、経営者が自社の仕事を再定義して、社員一人ひとりが担当している仕事をちゃんとすれば、適正な価値が顧客からも評価されて、経済的な成果につながることを実感できるようにすることが要請されます。そして、社員自らが、そうした再定義を自然に行えるようになるべく、経営者が先回りしてチャレンジすべき課題を示唆することが望まれるでしょう。
作成・編集:QMS代表 井田修(2015年8月6日更新)