(6)処遇にこそ、カルチャーがはっきりと顕れる
ネットフリックスでは、処遇についても高業績を追求することが徹底されています。
まず驚くべきことは、一般の企業とは異なり、「十分」程度の業績では、手厚い退職手当の支給対象になることです(NC-22)。あくまでも高いレベルの業績を挙げることが求められるのです。
一般によくあるのは、業績評価が低い社員は退職勧奨の対象となる、といったものです。たとえば、業績評価の結果がいい順に社員を並べたリストを作り、下位10%は退職勧奨やキャリア・チェンジの対象とするものです。
ひとつ注意したいのは、ネットフリックスでは、同様のリストを作成して「上位○○%だけが会社に残ることができる」といったルールを設けているわけではない点(NC-111)です。ここでの業績評価は、他の社員との相対的な比較で決めるのではなく、第2回でご紹介した価値(バリュー)をどこまで実践しているか、という基準に照らして判断されるものでしょう。
そうした基準から見て、高業績を挙げている人はより高いレベルの仕事にチャレンジする機会がある一方、十分程度の業績を挙げている人は、次のチャンスを社外に求めるしかないのかもしれません。
こうした人材フロー(出入り)を適切にマネジメントするには、退職手当を充実させるだけでなく、報酬制度のなかに後払いの要素をなくして、人材の退出を抑制しないようにすること(NC-110)も重要です。
一般に、米国の企業では、業績に連動した賞与やストックオプションなどは、複数年に分割して支給する方式をとることが珍しくありません。また、優秀な人材(タレント)と見做される人を会社に引き留めておく方策として、報酬を複数年に分割して支給する方式を採用していることが少なくありません。
こうした報酬プログラムでは、実際に賞与が支給されたり、ストックオプションが付与または行使されたりするときに、会社に在籍していることといった条件がついていることも、よくあります。
ネットフリックスでは、このような分割支給+在籍要件をもつ報酬制度を有しないものと思われます。そうでなければ、退職する自由は保障されません。
次に、ネットフリックスの報酬制度の特徴は何かというと、一言でいえば、その社員にとっての最高水準の報酬を実現することです。
そのためには、人件費予算の制約とか年1回の報酬改定(定期的な昇給管理)といった縛りはありません。ひとりひとりの報酬については、会社の業績も関係なく、その人の市場価値に見合う報酬水準を、現時点においてキャッシュで実現することを目指します(NC-100~107)。したがって、大きく昇給する人もいれば、(すでにその人にとって最高水準に達していると判断されれば)昇給しない人もいることになります。
ここで報酬水準というのは、一般的な意味でのマーケット(注5)との比較ではなく、個人別の値付けと捉えることができます。つまり、いま、Aさんが他社に転職すれば、ネットフリックスで得ている報酬相当のオファーがあるかどうか、という「報酬水準=市場価値」という原則に忠実な報酬制度を実現しようとしています。
それを実感するためであれば、同業他社や類似した仕事をしている人々から直接、報酬水準をきいても構わない、と、この資料でも断言してしまう(NC-108)ほどに、徹底しています。市場価値=報酬水準を社員一人ひとりが実感すると同時に実現することが、ネットフリックスの報酬制度の肝であり、それができているからこそ、高業績を達成している社員でも、そうそう容易に他社に引き抜かれるわけではなさそうです。
報酬制度のもうひとつの特徴は、現金報酬を極めて重視していることでしょう。
ネットフリックスにとって効率のよい報酬制度というのは、賞与・手当、福利厚生プログラム、退職金・年金制度や株式連動型報酬制度などから構成される、多種多様で複雑な報酬制度ではなく、シンプルで管理の手間のかからない仕組みということです(注6)。
そこで、報酬に関するものは全て現金報酬に含めて支給するというのが、基本的な考え方となっています。さまざまな経費や手当を最もシンプルに管理しやすくするには、すべて現金支給ということです。現金でないのは、自社株購入権に相当する部分くらいで、これも、報酬総額から自社株購入権相当分を自分で決めて、それ以外はすべて現金支給というものです。
以上、報酬制度についてまとめてみると、次のようになります。
現時点で報酬を実現する(後払いの要素をなくす)
業績評価で相対的な格差をつけない
ひとり一人にとっての最高水準の報酬を実現する
効率のよい報酬制度にする
それでは、ネットフリックスで仕事をしていて、金銭的なインセンティブ以外に何かインセンティブとなるようなものはあるのでしょうか。もし、なければ、現金で働かせるだけの会社になってしまう虞があるでしょう。
非金銭的なインセンティブの代表的なものというと、通常は次のようなものが予想されます。つまり、ネットフリックスという会社に勤めていること自体が社会的に認められる、肩書が魅力的である、次々に昇進できる、福利厚生プログラムが充実している、教育プログラムや能力開発制度が充実している、といったようなものです。
会社のネームバリューは確かにありそうですが、周囲にも同様かもっとネームバリューの高い企業が多いのが、この業界の特性です。
肩書や昇進というのも、ネットフリックスではハードルが高く、あまりインセンティブとはならないでしょう。昇進したくても、仕事自体が明確に大きいこと、現在の役割でスーパースターであること、ネットフリックスのカルチャーと価値(バリュー)を体現していること、という3条件を満たさなければならないのです(NC-116)。
もちろん、無駄な階層がないフラットな組織であるからこそ、昇進や肩書といったものに大きな意味はないのかもしれません。この資料に明示されているわけではありませんが、マネージャーの上はディレクター(その上は多分、トップマネジメントチーム)、マネージャーの下は担当、くらいの職階と思われます。
もともと自分で判断する余地が極めて大きい会社ですから、昇進したからといって大幅に権限が増えるわけでもなさそうです。マネージャーやディレクターに固有の特権的なものも、これといってあるようには思えません。
また、報酬制度に高い効率を求める以上、多種多様な福利厚生プログラムを充実させて、現金報酬以外のもののウエイトを高めるはずがありません。
実は、最大のインセンティブは、最高レベルの同僚といっしょに働くことができることに他なりません。
第3回でも言及しましたが、優秀な同僚が数多くいる職場というのは、仕事をしていて楽しいものです。特に意識しなくても、自分の能力が高まっていくことも実感できます。仕事の内容や勤務体制なども重要ですが、「上司や同僚と仕事の話をしていて、充実感や楽しさが得られるか」という点は、金銭的な報酬や物理的な労働環境より重視すべきもの、筆者には、そう思われます。
ネットフリックスでは、通常は会社が与える能力開発やキャリア・プランニングのプログラムはないようです。
言い換えれば、自己学習・自己向上がすべて、ということです。
実際には、自分の経験から学ぶこと、周囲の高業績追求者を観察して学ぶこと、内省や読書など自ら考えていくこと、同僚やマネージャーなどとの議論を通じて学ぶことなど、日常的に能力開発の機会があふれているはずです。そもそも高い業績を達成している人に囲まれており、そこでより難しい課題に挑戦している限り、本人も周囲も互いの成長を手助けすることになります。
これが、最大の非金銭的インセンティブということでしょう。
この資料では最後に、経済的な安定は、複雑な報酬制度や会社の名前や肩書などによって保証されているわけではなく、そもそも自分のスキルと評判にかかっている、と明言しています(NC-122)。ゆえに、会社ができることといえば、一貫して成長の機会をつくろうとすることと、高業績を追求する才能ある社員で職場を形成することだけ、ということになります。
確かに、どのような業界であっても、いまさら、会社の名前や肩書が個人の経済的安定を保証できないことは、日本の実情を見ても、改めて言うまでもないでしょう。まして、ITやエンタティンメントでグローバルに事業を展開している企業ともなれば、なおさらです。
ただし、こうした考え方は、誰にでも好ましいと感じられるものではないことは、ネットフリックス自身が自覚しているところでもあります(NC-115)。
Glassdoorが毎年行っている“Best Places to Work”の調査結果(全米の大企業を対象)を見ても、ネットフリックスは2009年に3位にランクインしている以外には、上位50位までに入っていることはありません。ちなみに、直近の調査(2016年調査)はAirbnbが、前年までの50位圏外から、いきなり1位になりました(注7)。
こうしたことからも、ネットフリックスのカルチャーは、向いている人・向いていない人を区別するものであることが理解できます。
以上、ご紹介してきたネットフリックスの資料ですが、もともと社内向けのプレゼン資料ではないかと思われます。圧倒的に多くの普通の会社(そのなかにはIT系の企業も含まれます)は、こうした資料を社外に公開することが、まずありません。
しかし、ネットフリックスはこの資料を公開しました。その狙いは、ネットフリックスという会社のカルチャーを社外に向けて発信し、このカルチャーで働く意志(覚悟)のある人を求めているというメッセージでしょう。
もちろん、ネットフリックスという会社の意志(覚悟)も、この資料を公開したことから窺い知ることができます。資料のなかの個々の内容よりも、こうした姿勢こそ、学ぶべき点かもしれません。
特に、日本の企業で、人事施策で他社との違いをここまで明確に打ち出そうとするのは、目にした記憶がありません。グローバルな競争、なかでも人材獲得競争において、自社のカルチャーや人事施策を明確に発信することの重要性を、この資料のご紹介を通じて、ご理解いただければ幸いです。
【注5】
米国では一般的に、業種・業界・地域別に、職種と職位に応じた報酬水準や福利厚生プログラムなどの調査データがあります。実際には、ジョブ・タイトル(肩書)ごとに、調査データと自社の社員の報酬データを比較します。
その結果に基づいて、経営陣や人事部門で自社のあるべき報酬水準や標準的な昇給率を定めて、マネージャーが部下の報酬を年1回見直す(といっても大半はある程度昇給させる)ことになります。
【注6】
米国では一般的に、現金報酬や株式連動型報酬とは別に、次のようなさまざまなプランやプログラムが設計・運用されています。なかには、役員専用とかマネージャー以上が対象というように、階層別に運営されるものもあります。
退職金
退職年金(確定給付型、確定拠出型、キャッシュバランスプランなど)
各種個別の福利厚生プログラム(保険、食事、通勤手段など)
カフェテリアプランなどの統合選択型の福利厚生プログラム
専任秘書・個室・コーポレートカード・社有ジェット機などの特権的なプログラム
社内イベント(グーグルのTGIFなどが有名)やパーティーなど
【注7】
Glassdoorおよび“Best Places to Work”の調査結果については、以下のサイトを参照してください。
https://www.glassdoor.com/Best-Places-to-Work-LST_KQ0,19.htm
文章作成:QMS代表 井田修(2015年12月10日更新)
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