“ベニスに死す”を思い出しながら

 “ベニスに死す”を思い出しながら

  

明後日、317日は、イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)が、ちょうど40年前(1976年)に亡くなった日です。

  この監督の作品は、日本でも多くのものが公開されています。そのなかで個人的に好きな作品を挙げるとすれば、“ベニスに死す”(イタリア語タイトルMorte a Venezia /英語タイトルDeath in Venice)を第一に挙げたいと思います。

 

この映画を最初に観たのは、20歳代前半だったでしょうか。

  当時は、この作品は映画というよりも、グスタフ・マーラーの“アダージェット”(交響曲第5番第4楽章)のPVか、という印象が非常に強く残りました。映画を観た1980年代半ばはMTV全盛期で、マイケル・ジャクソンの“スリラー”のように、長くて映画並みに作りこんだPVも珍しくなかったこともあり、そうした思いこみをもってしまったのかもしれません。

  その後、30歳を過ぎて再度、この映画を観ると、大きく印象が変わってきました。ダーク・ボガ―トが扮した主人公のアッシェンバッハ教授(マーラーや原作となる小説を書いたトーマス・マンをモデルにしたと言われています)と、その視線の先にある(ビョルン・アンドレセンが扮した)美少年タジオとの関係に、監督自身の姿と、その監督が撮った映画に出演している俳優との関係などを、垣間見る印象が残りました。

 さらに、その後も数年おきにこの作品を見る機会がありました。そのたびに、次第にアッシェンバッハ教授の行動に共感するところが多くなってきたような気がします。それは、この作品を観ている私自身が、アッシェンバッハ教授の年齢に近づいてきたということに加えて、次のようなことを実感してきたからではないかと、思われます。

  それは、仕事を通じて実現したい(主人公は作曲家ですから音楽を通じて美を生み出すことこそ、実現したいことと思われます)ことが、人生の終盤でも実現できない一方、美は、少年の姿を通じて、既にそこにあるということを認めざるを得ない、そのことを強く意識させられたのかもしれません。

  できることなら、仕事をより意味のあるものにしたい、と思っていても、なかなか実現できるものではないでしょう。まして、この映画のアッシェンバッハ教授のように、仕事を通じて実現したいビジョンが、すでに具体的な形となって自分の目の前に存在することに気づかされたとすれば、相当にショックを受けるような気がします。

  

ところで、起業家や経営者も、一種の表現者ではないでしょうか。

  単に、金を儲ける、という人も少なからずいるでしょうし、それはそれで資本主義の社会では正しい行いです。しかし、それだけではない人もまた、数多くいるでしょう。

  世の中をより良くしたい、そのためのひとつの手段としてビジネスに取り組む人々にとって、どのような事業をどのように起こし、展開していくのか、ということも重要でしょう。それ以上に、そのプロセスや結果が世の中に良い影響を与えることが、もっと重要なことでしょう。

  いわば、作品としてのビジネスを作り上げていく起業家や経営者という存在は、そうした意味での表現者と言えるのではないでしょうか。

  ちょうど、映画監督が一本の作品を作り上げるように、起業家はひとつのビジネスを立ち上げます。そして、両者ともに、次に取り掛かります。それを繰り返していくことで、作品(ビジネス)を通じて世の中に発信していく表現者であることに、本質的な違いはないでしょう。

  

ルキノ・ヴィスコンティのことを久しぶりに思い出しながら、ふと、こんな考えが浮かびました。今夜、改めてゆっくりと、“ベニスに死す”に向きあってみようかと思います。

  

【注】

 ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)の略歴や監督作品などについて、及び映画“ベニスに死す” (イタリア語タイトルMorte a Venezia /英語タイトルDeath in Venice)については、ウィキペディアや各種の映画データベースに概要紹介やデータなどが掲載されています。

  興味のある方は、検索してみてください。

  

作成・編集:QMS代表 井田修(2016315日更新)