(3)クロスボーダーM&Aなどのプロジェクトを進めるためのガイドブック
本書でテーマとしているクロスボーダーM&Aは、買い手側の企業にとっても、売り手側の企業にとっても、そして売買の対象となる海外企業にとっても、仕事の類型から言えば、ひとつのプロジェクトです。
本書は、一般にプロジェクトとして進められる仕事のノウハウ集としても活用できるヒントが至るところにあります。本書で使われている「M&A」とか「組織統合」といった用語を“プロジェクト”と読み替えることで、そのまま使えるかもしれません。そのなかのいくつかを、ご紹介してみましょう。
Co-CEO体制など、両者を横並びにする案は、一見良さそうに見えるかもしれな
いが、最終的に誰の言うことを聞いていいのか分かりにくく(中略)、社外に対しても
2人のCEOの関係について、長々とした説明が必要になる。
そこでCEOの上のポジションで、かつ常勤であってマネジメントに関わることを示す
ために、例えばExecutive Chairmanというようなタイトルを考えてみる。Chairmanとは
取締役会長だが、Executiveと明記されているので、マネジメントに口を出し、実務の一
部も行うことがこれで分かる。(34~35ページ)
組織運営のノウハウの一端が、肩書(タイトル)の取り扱いです。どういう仕事をするにしても、それぞれの関係者の立場や事情があります。一方、組織編成上、果たすべき役割もあります。
クロスボーダーM&Aでは特に買収先の経営層について、それらが複雑に絡まって問題となることがあります。そこで、肩書(タイトル)には、属人的な状況や組織上の位置づけを適確に表現し、同時に、本人がやる気になるようなネーミングであることが求められます。
こうした問題は、クロスボーダーM&Aでもセンシティブな問題でしょうし、一般の仕事においても、誰にどういう立場で関わってもらうのか、それをどのように表現するのか、ちょっとした工夫で仕事の進み具合が大きく変わるでしょう。
第一番に考えなければならないのは、組織統合は実に大変な作業で、その負荷が通常業務の負荷に上乗せされるため、統合がよほどうまくやれたとしても、業績、業務や組織に何か悪い影響があってもおかしくはない、ということである。(中略)組織統合のために経営者や管理職の目配り(Attention)は分散し、顧客回りや生産などのオペレーションで事故や事件が起きやすくなる。(76ページ)
重要なプロジェクトであればあるほど、経営者や上級管理職の意識はそちらに傾いてしまいがちです。こういうときほど、日常業務もあることを忘れずに取り組まないと、手痛いトラブルに見舞われてしまいます。
クロスボーダーM&Aでも通常のプロジェクトでも、よほどの大企業でない限り、実務を担う部隊(の一部)は兼務ということが多いと思われます。日常の仕事に加えて、表向きにはその存在自体が公表されていなかったりする上に時間や情報が限られているプロジェクトを担当するとなれば、日常業務のほうに問題が発生しないほうが不思議です。こうしたことを経営者や上級管理職がどこまでフォローするのか、といったことも結果を出すのに不可欠でしょう。
もうひとつは、いわゆる「事務局」を増強することである。事務局というのは、会社運営を円滑に行うために買い手と買収先の経営レベルでの情報連携、スケジューリング、会議設定などを行うところで、買収先には必ずそのような経営関連の諸事一式を捌く、高級庶務部隊があるものである。(中略)
買い手が買収先の問題を大目に見られればよいのだが、いつも、そしていつまでもそう
できるとは限らないので、買収先の経営企画やCFOオフィスの体制が買い手が暗黙に
要求する水準に合致しているかが、想像以上に重要な問題となることもある。
(61~62ページ)
プロジェクトを進める際に、ご意見番的なプロジェクト・メンバーばかりで、実作業がなかなか進まないことが、間々あります。そうした事態に陥らないように、事前に強力な事務局を設ける必要があります。特に仕事の進め方が大きく異なるような部門や職種を横断して進めるプロジェクトでは、事務局となるメンバーのレベルが揃っていなかったり、期待され要求されている水準についての齟齬が見られたりするのが普通と割り切って、事務処理を手際よく捌くことができるスタッフを必ず入れるのもノウハウのひとつです。
クロスボーダーM&Aの例に倣って、事務局メンバーの意識づけやモティベーション向上のためにも、守秘義務契約(誓約)書を一筆取るとか、プロジェクト開始時に成功報酬を約束するなど、多少の演出が欲しいところです。もちろん、成功報酬とはいっても、金銭的に多額なものである必要はなく、プロジェクトの打ち上げに旅行とかイベントといったものを約束する程度でもよいでしょう。
このあと数日間をかけて、主要なポリシー、プラン、データについて実務的な内容の確認を行う。具体的な調査対象は、前日のプレゼンテーションを踏まえて、先方の助言も聞いて選定する。(中略)
もうひとつの調査の観点は、前日のプレゼンテーションや課題の討議の論拠を、現
地・現物で確認することである。書類を見せてもらって説明を受けるのはもちろん、
ミーティングルームから出て、買収先社内を歩くのもよい。(208~209ページ)
プロジェクトに限らず、日常の仕事であっても、社内外で調査を行うことがあるでしょう。また、社外関係者と共同で調査を行うこともあるでしょう。そうした時に、単にインターネットで調べるとか、関係者とミーティングをするだけでなく、実際に現地・現物を見て歩き、当事者から直接、話を聞くことも意識的に行うほうがよいでしょう。そして、顔を合わせてミーティングを行う前後に、ランチや夕食などをともにすることで、言葉やデータだけでは伝えきれないものを把握することも必要です。
M&Aで得た膨大な知見は、整理して初めて活用可能になる。(中略)
知見は直接体験した人に未整理の状態で留まるので、本当に起こった事実を洗い出し、
それを評価していく作業が必要になる。(中略)
日本企業の場合、ローテーション人事があるので、キーパーソンの異動とともに知見が
散逸するという声をよく聞く。(中略)
書くことには時間を要するが、書けば整理は格段に進み、センス良くまとめれば書き物
の分量も抑制できる。この整理作業に外部を使えば、社内では口にしにくい本音も収集
できる。(218ページ)
通常の仕事にせよ、プロジェクトにせよ、終わったらそれで終わりというわけではありません。その仕事を通じて得られた知見(仕事のノウハウといってもいいでしょう)を記録し、数をこなすなかで次第に体系化していくことで、組織全体のレベルアップを図ることができます。こうしたプロセスを踏むことで、担当した人自身も仕事を振り返ることができますし、他の人々に経験やノウハウをトランスファーすることができます。こうしたプロセスこそ、人材育成にも不可欠でしょう。
以上、本書の特徴をご紹介してきましたが、最後にひとつ、著者にお願いしたいことがあります。
それは、本書がクロスボーダーM&Aのテキストであることは間違いないのですが、そのテキストを肉付けして、よりリアルに理解できるように、事例研究とかケースストーリーのようなものがあったらいい、と思わずにはいられません。多分、参加者を限定したセミナーやワークショップなどでは、より具体的なケースが紹介されていることとは思います。
守秘義務等の縛りがあるのは承知の上ですが、具体的なケースとして読むことができるようなものがあれば、本書で紹介されているアプローチや指摘されているポイントが、実際にどのように機能しているのか、さらに理解が深まるものと思われます。特に、これからクロスボーダーM&Aに直接、従事しようとしている関係者や、将来、こうした仕事に関わりたいと考えている方々にとって、本書とセットで有益なものとなるでしょう。
文章作成:QMS代表 井田修(2016年5月10日更新)