事業を受け継ぐ者(後)
機械メーカーC社の二代目社長と知り合ったのは、ちょうど、IBMがルイス・ガースナーCEOのリーダーシップのもと、コンピューター・メーカーから情報サービス業に業態転換を図っていた頃でした。
この会社は、本社と工場を中国地方にもち、日本全国に製品を販売し、欧米を中心に輸出もしていました。当時、個々の製品を販売するだけでは、売上は伸び悩み、利益率も長期的に低下していました。
C社の社長は、自分がこの会社を継ぐものと子供のころから自覚していたそうで、アメリカに留学してMBAを取得するなど、後継者として着々と準備してきました。社長に就任して一定の期間は、これといって目立ったことはせず、会社のなかをじっくりと見て回る一方、社長就任前から世界中の顧客や販売代理店などを訪問し、その要望などを聞いて、次の打ち手を考えていたそうです。
社長に就任して数年後には、創業者である前社長を支えてきた役員たちも次第に引退し、自分と同世代のマネージャークラスの人材の中から、経営幹部となる者を昇進させ、いわゆる子飼いの部下をもつことができるようになります。
こうした動きと並行して、事業モデルの改革にも着手しました。それは、個々の製品を作るメーカーから、製品を組み合わせて、顧客であるさまざまな工場のメンテナンスに関して最適なサービスを提供するソリューション・プロバイダーへの転身です。
機械設備やその補修部品の製造販売から、ソリューション&コンサルティングのサービスへの転換を図りつつ、同時並行的に製造販売部門も営業マンが足で稼ぐ体制から、カタログを配布してコールセンターで受注する体制へ、さらにインターネットでの販売へと転換していきました。
その間、社員も少しずつ入れ替わり、メーカー専業の頃の年功的な賃金体系も、いつしか、職務給をベースに実績に応じて大きく変動する賞与を支給するものに変わっていきました。
こうした改革を静かに少しずつ進めていったところに、この社長の持ち味があります。ターンアラウンドのVCであれば、資本と社外専門家を入れて一気に転換するところを、10年、20年と時間をかけて進めました。
これは、それだけは早期に手を打つことができたから、とも言えます。業績が悪化し、リストラをするしかなくなるまで、これといって手を打たない企業が多いなか、極めて例外的に先手を打つ経営を実行できていたから、漸進的な改革を実現できたわけです。
D社は、近畿地方から全国に事業を展開していった会社です。もともとは卸売業だったのですが、二代目が社長となるのと相前後して、自社製品の製造販売のウエイトを次第に高めていきました。
はじめは、製品を開発し製造する場所も部門もない状況でしたから、社長自らが開発担当者であり製造チームのリーダーでもありました。また、自社の流通網に載せる以外には販売方法もなかったため、営業や宣伝・販促等も陣頭指揮をしていました。
その後、製造部門は他社を買収するなどして次第に業容を拡大していきましたが、製品開発と宣伝・販促は社長直轄で長く行われていました。
この社長の強みは、個々の商品開発について、自ら主導権をもって臨んで、いわば、社長兼プロダクトマネージャーのような役割を果たし続けることができた点に尽きるでしょう。
それが可能であったのは、消費者が日常的に使う製品を開発し売り込んでいくには、消費者の日常的な感覚をいつも製品開発や宣伝・販促に反映していたからです。インターネットもSNSもない時代に、実際に自社製品を使うであろう人々の声を直接きく場面を毎日のようにもっており、そのための方法を自分なりにもっていました。たとえば、取引先との会食で訪れた飲食店や移動中の新幹線やタクシーの車内で、店の人や隣りの人に話しかけて、時には製品のサンプルを手にとってもらいながら、自社製品について意見を聞きまくっていたのです。社長とはいえ、運転手つきの社有車で移動するなどありえません。
この社長の強みは、泥臭いことを熱心に続けることに尽きるでしょう。その結果、こうしたやりかたは、いつしか製品開発の標準的なプロセスにもなっていき、D社の競争力(製品開発力)の源泉ともなっています。
E社は、創業者が近畿地方を中心にラーメン店のチェーンを展開しました。二代目はそれを全国(特に首都圏)で展開するとともに、旧来のラーメン店のイメージを一新して、パスタのお店のように女性が一人でも入りやすい店作りを実現したり、ちょっとおしゃれでこぎれいだが値段はリーズナブルな食堂をチェーン展開したりして、業容を大きく伸ばしました。
この社長は、社外のスタッフやブレーンを巧みに活用しました。直営店中心からフランチャイズ・システムに切り替えようとすれば、まず、他の外食チェーンのフランチャイズに加盟して、フランチャイズ・システムを徹底的に研究しました。また、店のデザインを一新するとなれば、見本となる他社のデザインを担当したデザイナーなどに仕事を依頼するなど、自社にないものを積極的に採り入れるのに躊躇はありません。
人材面でも外部から採り入れるのに積極的で、中途採用も新卒採用も推し進めました。その際に他社でラーメン店の経験をしている人は基本的には採用せず、むしろ業界経験のない人を積極的に採用していきました。その理由として、それまでのラーメン店の常識に囚われずに事業展開をするうえで、従来の常識が邪魔になるおそれが大きかったからです。社外のスタッフやブレーンに仕事を依頼する際にも、同様の基準が暗黙にあったようです。
この社長の強みは、まさにその点にあったと思われます。旧来のラーメン店ではないものに作り変えていくには、それまでの常識をもっていないほうがうまくいくことに、いち早く気づいており、そこをためらうことなく徹底していったことが強みとして指摘できるでしょう。
同時に、旧来のラーメン店がどういうものか、子供のころから知り尽くしていたことも見逃せません。これは二代目の有利な点ですが、その限界や問題点に正面から向き合って課題を解決していくという、実は後継者としては難易度の高いテーマにしっかりと取り組んだことが成功の鍵でしょう。
以上、ご紹介したのは、二代目として事業を改革し新たに発展させることに成功したものの、ほんの一例に過ぎません。とはいえ、経営改革がうまくいかなかったり、そもそも経営改革に着手できないまま、業績が悪化してしまったりするなど、事業を受け継いでも次の展開がうまくいかないケースも多々あるでしょう。
さて、「リア王」に戻って考えてみると、受け継ぐ側やその周囲にいる関係者(宮廷の重臣をはじめとする貴族など)にとってサプライズがあると、混乱するだけと思われます。いきなり王国を3分割して、それぞれを娘たちに継がせるなどと発表されては、大概は動揺するでしょう。その点、長男が世襲することが暗黙にでも決まっているオーナー会社の場合、サプライズがない分、受け継ぐ当人も周囲の関係者も、心の準備ができていることがプラスに働くと思われます。紹介した5例は、いずれもそうした状況に該当します。
この点は、当たり前のようですが、無視できない重要なポイントです。一定の規模と歴史の企業で、サラリーマンが出世のゴールとして社長の椅子をイメージするのとはわけが違います。二代目は、社長の椅子は約束されているとしても、そこにただ座っていればいいわけではありません。
さらにいえば、二代目として会社や事業を受け継ぐ子供にとって、受け継いだ会社がダメになるということは、自らの人生そのものの意味とかアイデンティティが失われるのに等しいでしょう。何にもまして、サバイバルが優先されるはずです。
社長になることを当然と受け止め、それだけで満足してしまう二代目も少なくないとは思います。しかし、受け継いだ会社が何とか生き残っていくにはどうしたらいいのか、そのことを物心ついて以来、真剣に考え続けてきた人が二代目となるとすれば、改革者として最も適任と言えるのかもしれません。
ただし、結果がついてくるかどうかは、また別の問題です。結果を出すには、あまりに急激な改革よりも、早め早めに手を打って、漸進的で長期的なアプローチで結果を少しずつ積み上げていくほうがいいように思われます。少なくとも、実例を振り返ってみると、そう思うところが大です。
創業・起業する初代の経営者も相当に困難なことをやり遂げなければなりませんが、二代目に引き継ぐこと、また二代目として受け継ぐことの難しさもまた、相当なものと覚悟が必要でしょう。
作成・編集:QMS 代表 井田修(2016年7月28日更新)