(4)企業家がとるべき戦略
最後に、企業家が採るべき戦略についてご紹介します。ドラッカーによれば、これには次の4種類があります。
1.総力戦略
2.ゲリラ戦略(創造的模倣戦略、柔道戦略)
3.ニッチ戦略(関所戦略、専門技術戦略、専門市場戦略)
4.顧客創造戦略(効用戦略、価格戦略、事情戦略、価値戦略)
これらのうち、総力戦略、すなわち総力による攻撃について、ドラッカーは否定的とは言わないまでも、極めて慎重な姿勢を見せます。
確かに多くの企業家がこの戦略(=総力戦略、引用者注)をとる。だが、この戦略はリスクが最も低いわけではないし、成功の確率が最も高いわけでもない。企業家戦略として優れているわけでもない。それどころか、企業家戦略の中で最もギャンブル性が強い。いっさいの失敗を許さずチャンスが二度とない辛い戦略である。ただし成功すれば成果は大きい。
(中略)
実際、これが使えるイノベーションの種類はごく限られている。しかもイノベーションの機会についての深い分析と正しい理解が必要である。エネルギーと資源の集中が必要である。
多くの場合ほかの戦略をとるべきである。ほかの戦略のほうが望ましい。それはリスクの問題ではない。必要なコスト、努力、資源に見合うほど大きなイノベーションの機会がそれほどないからである(「第16章・総力戦略」249・261ページ)
企業家が総力による攻撃しか思いつかないというのは、イノベーションの機会および市場・顧客についての分析が不十分であるからかもしれません。もしくは、そもそも活用可能な経営資源があまりに少なく、戦略を考える余地もない状況に陥っているのかもしれません。これしか手元に資金がないから、これしか顧客開拓の方法がない、というのは本末転倒です。もしそうであるならば、まずは経営資源を充実させることに着手すべきでしょう。
特にテクノロジー志向のスタートアップでは、技術の研究開発に当たる人材は確保できても、財務や営業についてはまったくリソースがないことすらあります。こうしたケースでは、総力戦略をとるかどうかを考える以前の問題に直面していることに、企業家自身が気づくほかありません。
さて、ドラッカーは総力戦略以外に3つの戦略を提示します。そのうち、ゲリラ戦略とニッチ戦略と名付けた戦略については、そのネーミングの通り、技術や市場のどこかにフォーカスを絞って戦う戦略です。
そして、ドラッカーらしいと思わずにはいられない、顧客創造戦略について述べています。
顧客にとっての効用、顧客にとっての価格、顧客にとっての事情、顧客にとっての価値からスタートすることは、マーケティングのすべてである。(中略)
企業家精神の基礎としてマーケティングを行う者だけが、市場におけるリーダーシップを、直ちにしかもほとんどリスクなしに手に入れているという事実は残る。(「第19章・顧客創造戦略」307ページ)
総力ではなく、どこかに優位を築くことを狙うとしても、投入できる経営資源と投入すべき経営資源との間にギャップが存在するのが新規事業の常でしょう。それは、起業したばかりの企業であっても既存の企業が新規事業に進出した場合であって同様です。いかに事前にイノベーションの機会を分析したとしても、経営資源が相当に確保されていなければ、戦略を論ずるまでもありません。
もちろん、適切なマネジメントを行い、必要な経営資源をタイミングよく調達できており、採るべき戦略を実行することができたとしても、その結果は必ずしも狙い通りというわけではありません。一度は採るべきと判断した戦略であっても、結果が芳しくなければ、すぐに戦略転換をすべきでしょう。
ただし、ベンチャーでよく言われる「(ビジネスモデルや戦略の)ピボット」も、いくらスピードが重要とはいっても、あまりにコロコロと変わるのであれば、改めて顧客創造戦略を考えてみるべきかもしれません。ピボットを実行するにしても、市場や顧客からのフィードバックがなければ、どういう方向に何をどのタイミングで転換すればいいのかもわかりません。
結局のところ、顧客を知る=誰が顧客となるのか、顧客にとって何が効用となるのか、顧客にとっての価格のもつ意味とは、顧客が困っていることは何か、顧客は何を評価して購入しているのか、などなどの問いに答えられるようになる=ことが、戦略を具体的に検討するスタートラインと言えるでしょう。
多くの場合、予期せぬ成功や失敗からも明らかとなるように、顧客を知ることからマーケティング活動を行うという意味で、企業家は顧客創造戦略を採るべきなのでしょう。仮に事業を始めた段階では極めて少数の顧客しか得られないとしても、その顧客に関する洞察の中から次の顧客についてのヒントを得ることができれば、事業が成長していく可能性は出てきます。
ドラッカーにとってイノベーションとは、現実の漸進的で不断の変革であり、その担い手である企業家がとるべき行動や仕事に取り組む姿勢が企業家精神です。そう考えるからこそ、企業家精神は一握りの成功したヒーローの物語ではありませんし、ひとつの斬新なアイデアがイノベーションを引き起こし、すべてを解決するといった夢物語でもありません。
企業家精神は一般の人々が仕事に取り組む姿勢であり、イノベーションは一般の組織が新たな製品やサービスを通じて絶えず新たな顧客(市場)を生み出していく行為です。それゆえに、起業を志す(現に起業に取り組んでいる)方々は当然として、営利事業に直接関係がなくても、組織や仕事の意義が改めて問われるような、何らかの困難に直面している人々にこそ、企業家精神をもってイノベーションの機会を探し出すことがますます求められているのではないでしょうか。
イノベーションの機会を見出す第一歩として、自分の仕事の顧客を知る(知ろうとする)ことは、企業家精神を実践することに他なりません。
文章作成:QMS代表 井田修(2016年9月28日更新)