同一労働同一賃金を巡って(6)
同一労働同一賃金というのは、目指すべき方向というよりも、本来は実現していて当然の状態でしょう。社員ひとりひとりが個々の事情に応じて働いて労働生産性の向上に貢献してもらう、そういう状態がどの程度実現しているかどうかを判断する、ひとつの基準と言えるかもしれません。
この連載の最初に述べたように、人事管理の本質は、雇用区分や労働時間の形態に関係なく、公正かつ公平に処遇することにより、労働生産性を向上させていくことであるとすれば、同一労働同一賃金というのは、実現されていて当然の状態であることは、改めて述べるまでもないでしょう。もし、実現されていなければ、働く人のモラールは低下してしまい、組織全体としてもモチベーションが高まるとも思えません。
つまり、同一労働同一賃金が自社で実現されていないとすれば、人事管理が真っ当に機能していないことに他なりません。ある程度の許容範囲はあるにしても、不公正・不公平な処遇にも構わずしっかりと働いてくれる人など、いるはずがありません。
そこで、この連載では、同一労働同一賃金を実現するための課題と解決策を次の4点から検討してきました。
1.どのような仕事を担当するかという職務の設計や配分について
多くの企業で問題となるのは、まず、担当する仕事が不明確だったり、仕事の割り当てが量的にも質的にも不合理であったりする現実があることでしょう。その最も極端なケースとして近年注目を集めているのが、過重な残業実態の問題です。
量的な偏りだけでなく、質的な偏りもあります。
特にいわゆる正社員と非正規社員の間で仕事の配分が逆転している場合(正社員のほうが重要でない・軽い仕事を担当しているようなケース)、正社員のほうが能力や適性の面から見てそうするしかないとなると、そもそも採用自体から疑問視されてしまい、会社の人事管理そのものが不信感を招くことになるでしょう。それは取りも直さず、マネジメントへの不信にダイレクトにつながります。
2.仕事をどのように成し遂げたのかという業績評価(仕事をするプロセスとその成果)について
仕事をするプロセスやその結果をきちんと管理するという業績管理(パフォーマンス・マネジメント)が適切に機能しているかどうかも、多くの企業で問われるべき課題です。
特に非正規社員については、業績管理そのものをしていない企業や職場も、まだまだ数多く見受けられます。仕事をすることを通じて会社の業績に何らかの形で貢献している以上、少なくとも、年に1回は業績評価をしてその結果を本人に何らかの形で伝えることは不可欠です。もちろん、日常的に職場全体の目標などを共有するといったことも、必要不可欠でしょう。
3.賃金(労働の対価)について
まず、想定されるのは、賃率(標準労働時間1時間当たりに支払われる賃金単価)の問題です。雇用区分や労働時間管理の違いによって、賃率に合理的とはいえないような違いがある可能性があります。これは、賃金における内部的な衡平性の問題として捉えることができます。
この問題は、賞与のように毎月支払うと定められているものではないものでも、実態として年間を通じてみれば支払うことが確定的な現金報酬がある場合に、その支給対象の基準によっては、衡平性を欠く場合もあります。
4.賃金以外の報酬制度や処遇プログラムについて
賃金以外にも報酬はあります。ストックオプションなどの現金以外の報酬制度でいえば、その付与対象の問題もあります。実態として担当している仕事が同じなのに、ある報酬スキームの支給対象となる人とならない人が存在するのであれば、これも是正すべきものと指摘せざるを得ません。
さらに、報酬以外の処遇プログラムについても検討すべきものがあるかもしれません。一般に福利厚生と呼ばれる分野であっても、たとえば有給休暇の付与日数や付与の条件および取得の実態などが、雇用区分や労働時間管理の違いから大きな差があるとすれば、やはり見直すべき事項に挙げることができます。
また、教育研修プログラムに参加する機会や昇進昇格の可能性など、幅広い意味でのキャリア開発の可能性も処遇プログラムのひとつに含まれます。キャリア開発には、本人の希望や個人的な事情なども大きく影響しますが、そもそも非正規という雇用区分を「身分」のように扱っている企業もある現状では、仮に賃金(賃率)の格差が多少はあったとしても、キャリア開発の機会が正社員と同様にあるのであれば、非正規社員の目からみれば魅力的な会社に映るかもしれません。いわゆる叩き上げで非正規社員から出世した役員や経営幹部がいるような企業でないと、優秀な人材を引き付けることはますます難しくなるでしょう。
さて、もし同一労働同一賃金が実現していないとすれば、そしてそれが現実であるとすれば、何が問題となるのか改めて考えてみましょう。
小売・外食・サービスなどの業界でよく見られるように、アルバイトから店長への登用があるとしましょう。もちろん、店長になる前に正社員に登用して、それから店長になるというケースもあると思います。こうした処遇は、本人の希望かもしれませんし、会社側の都合でアルバイトをとりまとめるのがうまい人を店長にしてその店をまとめさせているのかもしれません。
いずれにしても、こうした場合、正社員の店長とアルバイトの店長は同じ処遇でしょうか。仮にアルバイトの店長のほうが低い賃率であるとしたら、会社にとっては人件費が節約できるという点で目先の業績面では好都合かもしれませんが、店長自身のモチベーションは上がるものでしょうか。店長のモチベーションが低い店で働く店のサービスはどうなるでしょうか。その店にお客さんは喜んで来店してくれるでしょうか。一方、賃率が高い正社員の店長は「これだけの給料を払っているんだからもっと働け」とばかりに過重な残業に追い込まれるかもしれません。ちょっと考えれば、誰でも想像がつくことです。
ここで注意したいのは、正社員を上に見る価値観がはっきりと存在していることです。それは、アルバイトから正社員への「登用」という表現や、アルバイトが「社員さん」と正社員を呼ぶような慣行(アルバイト自身のことは「うちらはバイト」というでしょう)にも現れています。
こうした価値観が見られる職場ほど、実はアルバイトのほうが正社員よりも現場の仕事ができる、さらに言えば、正社員がいなくても店は回るが、アルバイトの核になる人がいなくなると店が開けられなくなる、という状況にあるのではないかと思われます。
営業事務、経理、人事、総務といった、いわゆる内勤の職場でも同様のことは起きているようです。
同じ職場に勤続年数が長い非正規社員(注6)がいるとなると、現実にその職場での仕事の内容を熟知しているのは、そのベテランの非正規社員です。定例的な人事異動で頻繁に入れ替わる正社員の管理職は、その職場の実務は実質的に何も知らないことすら、珍しいことではないでしょう。
そうなると、管理職の仕事の価値と、非正規社員のそれとを比較すると、少なくとも目に見える範囲では非正規社員の仕事の価値のほうが高いことを認めざるをえません。いくら、管理職は立場が違うとか、もともと採用区分が違うといっても、現実に職場で役に立っているのは非正規社員のほうということは客観的な事実です。実際、顧客や職場の同僚などにアンケートのひとつも取ってみれば、誰が社員として本当に役に立っているか、一目瞭然です。
このように、現実に職場で仕事ができる人と、その職場で賃金も含めて処遇全般が手厚い人が、一致していないことが実によくあります。例外的な一人の問題であれば、単に職場の管理責任者(マネージャー)の問題といえますが、会社のルールや人事管理の仕組みのなかで一致しないようにしているのであれば、そこに何らかの合理的な理由や特殊な事情がなければ、雇用区分に関わらず、社員の大半は納得しないでしょう。
日本企業は職務による組織編成ではなく、メンバーシップによる組織編成が原理となっているから仕事を軸とした発想や制度に早急に切り換えることは難しい、といった見解もあるようです。
しかし、こうした日本企業特殊論では、労働生産性が一向に向上していない現実を肯定してしまうだけで、労働生産性をいかに合理的に向上させていくのか、という本来の課題を人事管理の面から解決していくことに資するアイデアや課題解決策は出てきません。企業が採用する人材そのものがグローバル化している現状を鑑みても、多種多様な人材とともに労働生産性を向上させていくためには、同一労働同一賃金というのは最低限実現しておかなければならない条件と言えるかもしれません。
結局のところ、合理的な方法で労働生産性を向上させる仕組みやカルチャーがないところでは、最後は現場にしわ寄せが行ってしまい、過重な残業や賃金の不払いを慣習化するような労働慣行などが一般化してしまいます。それがブラック企業やブラックバイトなどの問題を引き起こしているのではないでしょうか。
ただ、こうした問題を法規制などで一方的に抑え込もうとすると、また別のところに歪が生じるだけで終わるのではないかと危惧されます。
残業時間の上限を決めたり、インターバル勤務などを導入したりしても、対象となるのはいわゆる正社員ばかりでは問題は解決しません。これらの規制によりあふれ出た仕事は、非正規社員はもとより、雇用契約外の事実上の労働者、その多くは業務委託(自営業者)であったり下請け業者であったりするわけですが、こうした事実上の労働者により多く転嫁されていくだけでしょう。
これでは、企業社会全体でみれば少しも労働生産性が向上していない、時には反対に労働生産性の低下を招きかねません。何しろ、実際に仕事をする立場にある人々や組織は、IT化投資などにも金銭上の限界がありますから、そう簡単に労働生産性を向上させるわけにはいきません。
いわゆるワークスタイル変革というものも、仕事をする仕組みやルールを大きく変えて、成果にこそフォーカスした仕事のやりかたを実現することが狙いです。単に会議やメールを減らすとか、残業時間を削減するためのプログラムではありません。
ちなみに、電話とファクスで受発注業務を全て対応している業種業界もまだまだあるように仄聞します。せめてこれらがIT化されて、受発注から会計処理まで一気通貫に自動的に処理できる程度のことが実現しないと、とても労働生産性の向上はおぼつかないでしょう。
そのためには、一社員の力だけではどうにもならないものがあります。一気に仕組みやルールを作り変えていくことが必要です。その結果、労働生産性の向上が実現し、それが仕組みとして、またカルチャーとして継続していくことができる状態になってはじめて、労働生産性を絶えず向上させることが仕事の一部として認識されるようになります。
多分、同一労働同一賃金が実現していると多くの人が実感できる状態というのは、ひとりひとりの人が個々の事情に合わせて労働条件をフレキシブルに選ぶことができると同時に、日常の仕事を通じて労働生産性を少しずつでも向上させていると実感できている状態に他ならないのでしょう。
【注6】
実は非正規社員にもいくつかの「身分」があります。たとえば、アルバイト、パートタイマー、嘱託社員、常勤嘱託など、一口に非正規といいながら、その内実はさまざまです。ちなみに、こうした場合、アルバイトは3ヶ月といった短期の雇用契約で時には正社員と同じ勤務体系であることもありますし、パートタイマーは一定期間以上勤務することを前提にしていても労働時間や出勤日は限定的です。嘱託社員は定年退職者の再雇用などで勤務体系はパートタイマーに準じる一方、常勤嘱託は実態的には正社員と同じ仕事ですが勤務期間に何らかの定めがある(正社員は勤務期間について特に定めないのが一般的)といったように違いがあります。
これらは必ずこう決まっているというわけではありませんし、会社によって、また制度が導入された時期や背景などによって同じ会社のなかでも、さまざまな使い分けがされているようです。
作成・編集:人事戦略チーム(2017年3月7日)