前回言及した信用に関連する生活習慣のひとつに「言葉に責任を持つこと」があります。このことを考える材料として、1970年代前半を代表するふたつの映画をご紹介します。
ひとつは、「ゴッドファーザー」(1972年公開の第1作)です。この映画の後半でニューヨークの5大ファミリーのボスたちが、一連の抗争事件を終結させるために会合を開くシーンがあります。
ここで、マーロン・ブランド扮する主人公のヴィトー・コルレオーネが他のドンたちの前で、シチリアからアメリカに帰国させる息子マイケル(演じるのはアル・パチーノ)の身に今後もし何かあった場合、それが事故・自殺・警察による射殺、たとえ落雷であっても、ここにいる誰かの仕業とみなすと語ります。このくだりで、ヴィトーは「自分から(抗争終結の)約束を破ることは決してない」と語り、抗争相手のフィリップ・タッタリアとその後ろ盾で会合を取り仕切っているドン・バルツィー二に、自らの言葉の重さを実感させます。それは、ヴィトー自身が押さえている政界や司法界における人脈を他のファミリーにも活用させるという条件との取引でもあります。
このように、経営者(マフィアのドンもビジネスの組織の責任者であることには変わりはありません)の言葉は重いもの、ということを自覚して動きます。もちろん、こうした取り決めには、契約書ひとつ取り交わされることもありません。しかし、約束が実行される担保はドンが語る言葉で保証されているわけです。
ちょうど正反対の例が「仁義なき戦い」シリーズ(1973~74年公開)であったような記憶があります。
第何作か覚えていませんが、菅原文太扮する主人公広能昌三が、もともと属していた山守組の山守組長の言うことを子分たちが信じていないシーンが何度かでてきました。金のことしか考えていない親父(山守組長のこと)が自分の子分たちや他の組の組員などを口先ひとつで操ろうとするのに対して、主人公が杯を返して独立を宣言するシーンなど、言葉の軽々しさが組の分裂につながり、終わりの見えない抗争につながるさまが描かれていました。
これらは、フィクションであり、極端な例ですが、言葉と行動の重さ・軽さを考える上では、わかりやすい事例です。
言行一致というのは、信用を得る上で最も確実な方法です。そして、実際に行うのに特にスキルとか知識体系といったものは必要ありません。ただ、習慣化して実行すればいいだけです。誰の助けも要らず、本人ひとりで実行できます。
ところが、言うことがコロコロ変わることが、ベンチャーの持ち味と勘違いしている実例を目にすることがけっこうあります。それでは、信用は形成されません。それどころか、マイナスの信用(不信感)を相手に植え付けるばかりです。
このことに気づかない起業家に、けっこう数多くお目にかかってきました。そうした方々のなかには、ビジネスを大きく成長させた方もいましたが、世の中を変えるというほどのインパクトを残した実例には、いまだ遭遇したことはありません。
言葉についてもうひとつ留意しておきたいのは、肝心なことを適切に伝えているかどうか、という点です。
起業家でよくあるのは、事業やサービス、技術や経営資源の調達見通しなどについては、相手の興味や関心に関係なく饒舌に語るのに、相手が訊きたいことは話さないというものです。
さきほどの「ゴッドファーザー」や「仁義なき戦い」で描かれているドンや組長といったリーダーの言葉にも、まずは相手が訊きたいことに応えた上でこちらの要求や条件を出していくシーンが枚挙に暇がないほどに出てきます。「ゴッドファーザー」では、オープニングのシーンがその代表です。
起業家はひとりで事業の全てを切りまわすことはできません。社員や顧客はもとより、取引先やパートナー企業、監督官庁、投資家や金融機関など多種多様な利害関係者を巻き込んで、事業を運営し成長させていく存在です。そうした利害関係者たちから信用を得ておかなければ、事業を運営し成長させていくことは不可能です。
相手が訊きたいこと、すなわち、肝心なことを確実に相手に伝える、そしてそれがぶれずに言行一致していることが、起業家が事業を運営し成長させるのに必要な信用を形成していくのに不可欠でしょう。
さて、信用を形成し高めていく生活習慣として他にも重要なのは、「やらないこと」を明示して、本当にやらないことです。次回は、この点について考えてみます。
作成・編集:経営支援チーム(2017年7月23日)更新