人材不足時代のベンチャー経営(5)
人材不足が今後も続くと予想されるなかでベンチャーが人材を確保していく上で考慮すべき事項を、賃金・賃金以外の労働条件・人材の調達方法・働く人自身の働き方といった面から検討してきました。
もともと、人材採用が容易でないベンチャーや中小企業にとって、採用時賃金の相場が上昇中の現在、賃金水準が明らかに低いのでは、よほどの個人的な事情や特別な人的関係でもない限り、誰も応募してこないでしょう。だからと言って、相場より高くすればするほど、短期的な金銭的魅力しかみていないタイプの人材が応募者により多くを占めるようになるでしょう。こうした人材はすぐに辞めてしまいがちな人々でもあります。
つまり、賃金水準だけでは人材確保の決定的な要素とはなりえないのです。少なくとも、人材を採用するベンチャーにとって、いかに欲しい人材であっても、一方的に高い賃金を提示することはあり得ません。賃金が高くなればなるほど、求める成果も高いものとなります。往々にして、その高さは達成不能であったり、客観的にみれば「そんな人材はいるはずもない」と断言できたりするレベルにも至ります。
賃金水準の次に、賃金以外の労働条件について検討しました。具体的には、勤務する場所(地域)、勤務時間やその時間帯、福利厚生プログラムなどの違いについてです。
勤務する場所というのは、通勤しやすいかどうかとか、在宅勤務などのテレワークや直行直帰などオフィスに縛られない勤務体系があるかどうかなどです。
勤務時間やその時間帯というのは、まず、固定的な労働時間か裁量労働制などのフレキシブルなものかで全く異なります。残業があったほうがいい人もいれば、一切できないという事情の人もいます。労働時間も勤務する場所と同様に、できる限りフレキシブルに対応できる企業が、働く人から選ばれやすいでしょう。
福利厚生プログラムについても同じようなことが言えます。勤務する場所や時間以上に、家族構成や個別の事情(育児、介護など)など社員個々のニーズに合ったものが必要となりますから、より柔軟で多様なものが求められます。
本来、ベンチャーは雇用環境や労働条件についても、しがらみなく(そもそも創業したばかりのベンチャーにはしがらみや過去の経緯といった歴史がないはず)、ゼロベースで柔軟に対応できるのが強みであり、歴史の長い企業や多くの社員を抱える大企業よりも有利なはずです。ただ、さまざまなプログラムを柔軟に制度化して運用しているとしても、それだけではベンチャーは一般の企業との人材獲得競争には勝てません。あくまでも多少は優位を築けるかもしれない程度のものです。
人材市場においてベンチャーが賃金や労働条件などで多少の優位性があるとしても、知名度やブランディング能力の低さから、なかなか採用したい人材にアプローチするのが難しいでしょう。そこで、自己分析、自社分析、人材の区分、手法の柔軟性、以上の4点から自社の採用を見直すことが必要です。
採用しようとする自社の人材面での分析といっても、中小企業やベンチャーにおいては、自社=経営者自身ですから、まず、経営者自身の得意・不得意を自覚するなど、自分自身の分析からスタートします。経営者、特に起業家の場合、自分がどのようなタイプの起業家であるかという自分自身の自覚と、周囲の関係者(VC、金融機関、取引先、顧客、既にいる社員など)からの評価が大きく乖離していることが実によくあり、欲しいと思っている人材についても考え違いをしているケースが大半と思われます。起業家といっても始めからビジネスを立ち上げるのに必要な資質や能力が備わっているはずがありません。むしろ、起業家とは、現実の起業プロセスで成長し進化していく存在です。
たまたま起業家という立場にあるからといって、誰もがビジネスプランを魅力的に語って、十二分な資金を集めることができるわけではありませんし、有能な人材が次々と仲間や同士になってくれるはずもありません。起業家自身がどういうタイプであるにしろ、自分だけで事業を立ち上げるわけにはいかないということだけは確実です。自己分析というのは、起業家としての自分の持ち味や特徴を自覚して、事業を立ち上げていくのに欠けている人材をできるだけ具体的に定義することです。この作業は、中小企業の経営者についても必要なことでしょう。
次に、組織としての自社の分析です。立ち上げたばかりの組織では、現状を分析しようにもやりようがないと思われるかもしれませんが、ここでは、どのような組織にしていきたいのか、そのカルチャー、仕事の進め方やワークスタイル、就業形態などを具体的にイメージしていくこと、および、そうした組織運営を実現していくのにどのような人材が必要なのかをある程度イメージしておくことを自社分析と呼んでいます。
自社分析がある程度できたところで、採用すべき人材の区別をつけることに取り掛かります。いっしょに事業を立ち上げる戦力を集めること(人材というよりも仲間とか同志とか呼ぶべき存在)については、これはと思う人には目をつけておくくらいの作業が求められます。人材を採用するというよりも、口説いて仲間になってもらうのです。一方、単に労働力とか人手となる人員(つまり頭数としてカウントする要員)は、通常の採用活動とともに派遣や業務委託といった形も含めて必要な数を調達することになります。ただし、起業したばかりで人数が少ない組織はもとより、30名程度までの組織であればどのようなものでも、新たに入社した1人のもつ影響力は決して無視したり軽視したりしてはいけないということです。
そして、人材調達の方法をできるだけ柔軟に考えることも忘れてはなりません。人材を採用するというと、募集活動をして、採用試験を行い、何らかの雇用契約を締結して、定着指導を行うといったプロセスを想定しがちですが、人材調達=一人ひとりの採用、というわけではありません。派遣や業務委託など、形式的には雇用契約ではない人材調達の方法もあります。ベンチャー同士で経営統合(合併)するのも、人材面で補完的な関係にある組織同士であれば、選択肢としていつでも十分にありうるものです。現に、この狙いでM&Aが行われる事例は毎年、見られます。また、大手企業などと業務提携するというのも、特定の人的資源が不足している際には、スピード感のある人材調達の手段となる場合もあります。
ベンチャーの人材調達を考える上で忘れてならないのは、そこで働こうとする人自身の働き方についての視点です。これには3つのポイントがあります。
第一に、入社した会社が成長する可能性のあるベンチャーか、見極めるポイントを自分なりにもっていることが求められます。
たとえば、創業者(チーム)のもつ強み弱みに対して、他のメンバーの特徴が相互補完的であれば、成長の可能性は相当にあるでしょう。創業者が技術志向の人であれば、マーケティングや営業、財務や人事などの面を強化する人材が必要です。創業者がオーガナイザー志向の人であれば、さまざまな人材を集めてチーム力を高めていくことができているはずですが、本当に多種多様な人材が集まっているか、そしてそれが有機的に活躍しているのかが問われます。起業家よりも優秀な面をもつ人材がいるか、他の社員(創業メンバー)に見習いたい人がいるかといったことも、ベンチャーで働こうとするのであれば、最低限はチェックすべきでしょう。少なくとも、さまざまな事情や背景をもつ人々が働いているのかどうか、見てみましょう。同じようなバックグラウンドや価値観をもつ人々だけで構成されているようでは、事業の成長も組織の進化も期待できないのは、改めて述べるまでもありません。
次に考えておきたいのは、ベンチャーで働くことになった本人が「本当の動機」と「辞め時」を意識して働いているかどうかです。
ベンチャーに勤めることを「参画する」ということがありますが、こうした表面的な言葉で、本当の働く動機を自分でごまかすことは是が非でも避けたいものです。自分がいまここで働いている理由や今後も働き続ける理由を、どこまで自分に正直に意識しているかが問われます。通常は、ひとつのベンチャーで担当者として仕事を続けたまま、数年が過ぎたのであれば、次のキャリアステップに移るほうが望ましいでしょう。まして、働いているベンチャーが、第一のポイントに照らして成長の可能性が低いと感じられるのであれば、なおさら退職・転職するタイミングと思われます。
第三に考えたいのは、せっかくベンチャーに就職したのであれば、社員一人ひとりのもつ影響力の強さや大きさを行使することです。1万人の会社の執行役員よりも10人のスタートアップの週3日のアルバイトのほうが、そのときその場で大きな影響力を行使できます。ベンチャーで働くということは、本人の意図とは関係なく、その影響力を行使することにほかなりません。
こうしたポイントを自覚して働いている人とそうでない人が現にいるのであれば、できるだけ自覚してもらうように常日頃からコミュニケーションを図って、社員個々の影響力を引き出したいものです。起業しただけの人から起業家へ、さらに経営者へと進化していくことを自ら望んでいるなら、起業家自身がいっしょに仕事をしてもらう人々を組織化しながら進化していくきっかけを作り出したいものです。
以上のように、ベンチャーが人材を確保していく上で考慮すべき事項を、賃金・賃金以外の労働条件・人材の調達方法・働く人自身の働き方といった面から検討してきました。
採用する側が、いい加減な気持ちで採用活動を行うことはないと思いますが、現実の忙しさの中では、特に人員として考えている人材については、どうしても必要な時には、相当の賃金(相場の2倍とか応募してきた人の望む金額の50%増しとか)を提示してでも、誰でもいいから採用しようという場合も出てきます。
一度でも仕事をしてもらうと、その成果が組織にとっての先例となってしまいます。成果がでなかったとしても、そのこと自体がひとつの先例となるのがベンチャーの特性でもあります。成果というほどのものがでなかったからといって、単なる人手としてはいたほうがいいということで、そのまま仕事を続けることもよくあるでしょう。
ベンチャーが組織的に成長し進化していくにしたがって、当初は成果を挙げることができた人材であっても、成長・進化についていくことができないことは普遍的に見られます。まして、最初から十分な成果を挙げることができなかった人は問題外でしょう。
そうした人材が組織に滞留したままでは、本当に必要な人材をイメージできなかったり、新たな人材を求めても人件費の面で採用できなかったりします。同時に、既にいる人材の影響力があるために、組織のありかたが望ましい方向に変わっていかない場合もあります。こうした状況では、ベンチャーの成長・進化が止まってしまいます。
人材不足の時代だからといって、不要な人材を抱え込んだり、そもそも自社には向かない人材を無理に採用したりすると、肝心の事業の成長を阻害する要因になります。そうならないためには、絶えず、人材の流動性を実現してよりレベルの高い人材に入れ替えていくことを、意図的に行う必要があります。
外から人材を調達するにしても、採用方法を見直すよりもまずは採用しようとする自社の魅力作りが不可欠です。組織全体はもとより、ベンチャー経営者自身のレベルアップも欠かせません。
作成・編集:人事戦略チーム(2018年4月24日更新)