(4)存在目的(エボルーショナリー・パーポス)
さて、組織で働く一人ひとりの人間の価値観が、その組織のもつ価値と一致するのが全体性(ホールネス)であるとして、組織のもつ価値に意味のあるものがどれほどあるのでしょうか。そうした疑問をもちつつ働いている人も多いと思われますが、この点に関して本書は辛辣です。
組織が定める「ミッション・ステートメント」が空疎に響くのは、自社の存在目的よりも「勝利」を重視しているからだ。ミッション・ステートメントは本来、従業員に感動と指針を与えるものだ。試しに、組織で働くだれかに、「あなたの会社のミッション(使命)を言ってほしい」と頼んでみよう。私がこれを尋ねるとほとんどすべての場合、うつろな目つきが返ってくる。時には頭をかいて、うろ覚えの文章を思い出そうとしながらぼそぼそと答える人もいる。CEOもミドル・マネジャーや現場の作業員と同じで、このテストに合格しない。人々がミッション・ステートメントを素直に受け入れないのは、それが行動や意思決定を左右するほどの力を持っていないからだ。経営陣が白熱した議論の最中に一呼吸置き、会社のミッション・ステートメントの方を見て「当社の存在目的は何を私たちに求めているだろうか?」と指針を求める姿など、少なくとも私は見たことがない。(本書「ティール組織~マネジメントの常識を覆す次世代型組織」325~326ページより)
ミッションといおうが、経営方針とか社是社訓といおうが、組織として何らかの指針や方針はあるでしょう。とはいえ、それは額に入れて社長室か役員会議室に飾ってあるだけ(目に見えるように掲げてあるだけマシかもしれませんが)という組織が大半でしょう。
確かに、これは本書が指摘するとおりです。これがクレドとして日常的に身に着けていたり、ビジョンとして社内のいたるところで目にすることがあるものであったりしたとしても、同様です。
そうしたものが、真に最も重視されているのかといえば、そうではないというのが現実です。結局は、売上だったり利益だったり、財務指標こそが最優先されるのがビジネスの日常であり現実であり、それが分からないようでは経営者やマネージャーとして失格の烙印を捺されても文句は言えません。少なくとも、進化型(ティール)組織を目指すわけではない普通の組織においては、そう断言できます。
(著名なビジネス書の)タイトルだけを見ても、現在のリーダーが何を目指すべきか、という考え方がわかる。それは成功であり、競争相手を打ち負かすことであり、トップにのし上がることだ。この見方に従えば、利益と市場シェアが重要項目となる。これは株主モデルの本質だ。(中略)
最近は、新しい見方が台頭してきた。これは「ステークホルダー・モデル」と呼ばれ、企業は投資家だけでなく、顧客、従業員、サプライヤー、地域コミュニティー、環境そのもののニーズにも答えなければならないという主張である。(中略)進化の観点からすると、(多元型の)ステークホルダー・モデルは、それよりもせまい(達成型の)株主モデルよりも明らかに一段階上のステップにいる。しかしステークホルダー・モデルでもなお、組織がすべてのステークホルダーに奉仕できるようになるには、人による意図的な介入が必要だとみられている。
もう一段進んだステップ、つまり進化型組織の視点とは、組織をもはや資産として(またさまざまなステークホルダーに奉仕する共有財産としても)見ない、ということである。組織は独自の存在目的を追求する一つのエネルギーが集まる場、新たに成長する可能性、ステークホルダーを超越する生命の一つのあり方ととらえられる。(本書「ティール組織~マネジメントの常識を覆す次世代型組織」372~373ページより)
結局のところ、大半の組織にとって本音ベースの使命とは、生き残ることでしょう。そのためには、営利企業であればとにかく儲けること、非営利企業であれば、何らかの存在意義をアピールして予算を獲得することに他ならないのではないでしょうか。
特に、トラブルに見舞われた時や業績が悪化した時に、どういう方針が打ち出されるのかによって、経営トップや部門マネージャーの本心が分かります。圧倒的に多くの場合、まずは金であり、利益を出すことが最優先に求められます。
たとえば、製品のリコールにつながるほどでないとしても自社のポリシーや基準に合わないところがある製品があったとして、その問題となっている自社製品を買わないように顧客に呼び掛ける企業など、そうそうないでしょう。実際、環境問題にせよ、労働環境の問題にせよ、自社のミッションやポリシーとして打ち出している公式の方針に反するようなことがあった場合、自社の売上や利益を無視してまで対応策をとる企業はそうそうありません。特に問題となっていることが、明らかな法令違反でないとすると、大半の組織は公表することも避けるでしょう。
こうしたポリシーや基準は、業績評価や日常の業務報告においても評価対象であったり報告すべき事象であったりもします。とはいえ、ミッション・ステートメントや経営方針に何が書かれていたとしても、予算や財務目標などがより優先されたり重視されたりするのが一般的ではないでしょうか。
現にBSCのようにステークホルダー・モデルに適合的なマネジメントシステムはあります。ここでも最優先すべきは、利益でありビジネスの成功でしょう。他の指標は、無視しないまでも優先順位は下がります。特にマネジメントレベルが上位になるほど、そうした傾向が顕著に強まります。そしてそれは、高額な役員報酬のスキームといった形で利益や成功へのプレッシャーとなります。
少なくとも、財務指標よりも優先される価値基準をもち、それが日常の仕事において実践されている企業には滅多にお目にかかりません。
存在目的(エボルーショナリー・パーポス)を考えていたところ、建設資材メーカーのE社とF社のことを思い出しました。
もともとE社はシェア重視の会社で、シェアを確保し0.1%でもシェアをアップさせるためには自ら価格競争を仕掛けるのを厭わない企業でした。いわば、レッドオーシャンで泳ぎ続けるのが戦略です。
一方、F社は独自の製品を開発し、ユニークなデザインや他社がやろうとしないカラーバリエーションを展開するなど、規模はあまり大きくはないものの、業界内で一目置かれる存在でした。社員の自主性に任せて顧客に提案して、時には顧客の開発計画の当初から深く食い込んでいくこともありました。E社との対比でいえば、極端に細分化された市場(個々の顧客)において、その市場をブルーオーシャンに変えていくところに強みがあります。
F社の創業経営者の後継問題もあり、E社がF社を買収する形でこのふたつの会社は合併しました。その結果、本書の表現を借りれば、F社が無自覚にもっていた「独自の存在目的」である他にない製品を開発・提案して、建設物・建築物に顧客独自のものを表現する組織のDNAとも呼ぶべきものが、合併後数年もしないうちにほぼ全て見られなくなったそうです。
E社は、シェア第一の行動原理とそれを支えるマネジメントシステム(目標達成度などの結果による信賞必罰の人事制度、数値による目標管理、PDCAを細分化した進捗管理、上意下達のコミュニケーションなど)が徹底していたので、そのなかにF社の社員たちがばらばらに配置されるようになった以上、当然の帰結と言えます。F社の社員の4分の1ほどは自主的に退職しましたが、大半はE社の存在目的に自分を合わせて生き延びていったことになります。
存在目的(エボルーショナリー・パーポス)は、何か紙に書いて方針として定めたり、戦略的かつ意図的に変更したりするものではありません。むしろ、日々の仕事の中で自然と体得されたりするものかもしません。存在目的が一変することはそうそう経験できないことかもしれませんが、合併とその後の統合プロセスのように、そうした契機となる場合があることもまた事実です。
ちなみに、存在目的(エボルーショナリー・パーポス)は個人の価値観というわけではありません。E社で働くようになった元F社の社員のように、同じ人が同じ業界で同じ時期に働いているとしても、どのような組織に属しているのか、その組織がどのような価値観や行動規範で動いているのか、そういった集団のもつ価値観や行動規範こそ、進化型(ティール)組織を考える際に注目すべきポイントです。
本書で言及されているように(367~372ページ)、感謝や振り返りを日常的に繰り返し行うことで絶えず組織の存在目的(エボルーショナリー・パーポス)を問い直す慣行が、基本的で最も効果的なマネジメントシステムとなっているのでしょう。そしてそれは、経営トップなどのリーダーも、現場の第一線で働くアルバイトやパートタイマーも、すべての社員が等しく実践してこそ、意味のあるものとなります。
したがって、他の経営管理ツール(予算管理、財務管理、購買管理、人事管理などおよび職務分掌や会議体・稟議・決裁等の意思決定ルールなど)やチェンジマネジメントなどの経営変革ツールなどは、ここでは不要となります。感謝や振り返りを真摯に行うことこそ、存在目的(エボルーショナリー・パーポス)を実践する進化型(ティール)組織に不可欠な特徴と言えるでしょう。
文章作成:QMS代表 井田修(2018年6月21日更新)