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橋本忍氏の訃報に接して

橋本忍氏の訃報に接して

 

先週19日、脚本家・映画製作者・映画監督の橋本忍氏が肺炎のため100歳で死去しました(注1)。

橋本忍氏は戦後の日本映画全盛期を代表する脚本家の一人といっても過言ではないでしょう。脚本としてクレジットされている映画が70本を超えるなかで、個人的に鑑賞した記憶がはっきりとある作品だけを挙げても、次の通り、1950年から70年の傑作が揃っています。

 

黒澤明監督の脚本家チームの主要メンバーとしては、「羅生門」「生きる」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「どですかでん」があります。

野村芳太郎監督とは、山田洋二監督と共同で脚本を担当した「ゼロの焦点」や「砂の器」(共同制作も)があります。また、「八つ墓村」の脚本も担当し、角川映画の横溝正史作品とは違った作品世界を展開しています。

岡本喜八監督とは「大菩薩峠」や「日本のいちばん長い日」で脚本を担当し、時代劇や戦争を扱ったものでも優れた作品を生み出しています。

時代劇といえば、小林正樹監督の「切腹」は時代劇の形式を借りて社会や組織の不条理を描きだした作品ですが、この脚本も担当しています。

戦争や戦後をテーマとしているものとしては、脚本と監督を兼ねた「私は貝になりたい」も忘れられない作品のひとつです。

社会的なテーマを正面から捉えた山本薩夫監督の「白い巨塔」は、同時に緊迫感の高いドラマでもあり、「ゼロの焦点」や「砂の器」と同様に、その後もリメイクされています。

森谷司郎監督とは、「日本沈没」や「八甲田山」(共同制作も)といった大作でも力を発揮できることを実証してみせます。特に「日本沈没」は社会的なSF映画であり、ここまで幅広く脚本が書ける人はそうそういないでしょう。

 

これだけの実績を備えた橋本氏が80年代にチャレンジしたのが、制作・脚本・監督を兼ねた「幻の湖」です。この作品は、東宝創立50周年記念作品と銘打ち、文化庁芸術祭参加作品でもありましたが、ロードショーは2週間ほどで打ち切りとなり興行的に失敗と見做されただけではなく、内容的にもさまざまな疑問符がつくような作品でした。

筆者は、ロードショー公開時に鑑賞した記憶があるのですが、36年を経ていまでも覚えていることがあります。それは、琵琶湖畔を走り続けるヒロイン、そのヒロインが男を刺すシーン、唐突に出てくるスペースシャトルのようなものに乗って宇宙から地球を観るシーン、これらの合間に挿入される時代劇シーンなどです。これらのシーンについていけない観客(筆者)は呆然として劇場を後にするしかなかったことも思い出しました。

「幻の湖」はいまでは一部の人々の間で、いわゆるカルト的人気があるようですが、そうした感情もわからないではありません。確かに、プロ中のプロが作った実験映画と呼ぶにふさわしい作品かもしれません。もしかすると、橋本氏が未だに作っていなかった映画というのは、ジャンルとかテーマとかエンターティンメントといったことに縛られない作品ではなかったのかと思われます。当時、既に60歳代であった橋本氏が、この作品でチャレンジしようとしたことが何であったのか、改めて考えてみたい気がします。

今年の夏は、橋本氏の作品、特に「日本のいちばん長い日」や「私は貝になりたい」といった作品などを見直す機会を作れればと思います。

 

【注1

たとえば、以下のように報じられています。

https://www.asahi.com/articles/ASL7L6T15L7LUCLV022.html

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33191960Q8A720C1CC1000/

 

【注2

橋本忍氏の作品リストは、日本映画データベースにあります。

http://www.jmdb.ne.jp/person/p0085490.htm

 

 作成・編集:QMS代表 井田修(2018723日)