「2001 キューブリック クラーク」に見るリーダーシップとイノベーション(5)

「2001 キューブリック クラーク」に見るリーダーシップとイノベーション(5

 

 イノベーションを実現するようなプロジェクトを率いるリーダーには、組織体制作りの面における特徴として以下の4点が挙げられます。

 

● 知のスパーリング・パートナーを確保する

● スポンサー兼後ろ盾を得る

● 各分野の専門家を手早く集める

● 未経験者でもすぐに戦力化する

 

 これまでの4回では、これらについて映画「200年 宇宙の旅」の製作過程で見られる、スタンリー・キューブリック監督のリーダーシップのありかたを述べてきましたが、ここからはリーダー個人の特徴をキャラクターの面とマネジメントの面から見ていきたいと思います。

 

 さて、リーダー個人のキャラクターについて、最初に次の6点を挙げておきました。

 

  仕事は任せて、ダメ出しを徹底する

  限界を超えて要求する

  憎まれない性格

  去っていくものは追わない

  自ら最も働く

  一貫性

 

ここでは各点について、映画製作のプロセスで起こったエピソードに即して説明します。

 

  仕事は任せて、ダメ出しを徹底する

 

 

(引用者注、監督のアシスタントのトニー・フューリンのこと)がキューブリックのアシスタントになりたての頃、キューブリックから何冊もの本や脚本を読んで要約を書けといわれた。高校も卒業していなかったフューリンは、そんなことができるのは「ラジオでしゃべっている上流階級の人間」だけと思っていたので、「ぼくには無理です」と答えた。

するとキューブリックは、「なあ、きみ、本は読めるだろう?」とたずねた。

「もちろん読めます」

「きみが本を読む。そこでわたしが『なんの話だった?』とたずねれば、答えられるだろう?」

「ええ、たぶん」

「第三に、本を読めばなんらかの感想を持つはずだ」とキューブリックはいった――自身、ぎりぎりのところでどうにか高校を卒業した人物だ。「信用できるとか、ばかげているとか、くだらないとか、いかれているとか、な?」

「ええ」

「だったら問題はないだろう? さあ、さっさとはじめてくれ」(同書426427ページ)

 

 未経験者をすぐに戦力化することにも通じていますが、自分が採用を決定した人間であれば、その能力や資質についてどこかに見るべきところがあったから採用を決めたはずです。そこで、できるところから仕事を任せ、その具体的な方法は本人に考えさせながら、絶えず、結果を問うことで仕事をしながら鍛えていくことが可能であることを、このエピソードは示しています。

ポイントは、仕事のやりかたを細かく指図しないこと、仕事の結果についていつも問うこと(このエピソードでいえば、“きみが本を読む。そこでわたしが『なんの話だった?』とたずねれば、答えられるだろう?”というやりとりを実際にすること)、頭を使わせること(本を読んで要約を書くこと)でしょうか。

 現実の仕事では、そうそう順調に望んでいる結果が出続けることはあり得ません。イノベーションを起こそうというプロジェクトであれば、むしろ、望んでいる結果は、そうそう生み出されるわけではないでしょう。ダメ出しをすることが圧倒的に多くないことは避けられません。

 

そもそもの初めから、台詞にはいくつも問題があった。最初の二テイク――フィルムで五分以上――は使い物にならなかった。いつでも言葉が穏やかで気遣いの人でもあるキューブリックは「もう一度やってみよう」以外にはほとんどなにもいわず、(中略)新たなしくじりが、サンドイッチと「おっと」を含めてぜんぶで四つあったにもかかわらず、キューブリックは予定どおりのところまで撮影を続けた。一分につきひとつのミスだ。(中略)テイク4でも5でも6でも、ビーティ(引用者注、月面基地司令官ラルフ・ハルボーゼンを演じたベテラン俳優のロバート・ビーティのこと)は何度か台詞をしくじった。そこで、いったん解散して昼食をとり、午後にふたたび集まって再挑戦することになった。

昼食のあと、ビーティの難破が本格的に始まった。(中略)その後の十四テイクで、この日の合計は二十七テイクになったが、十六テイクは台詞に問題があり――長さにして二十分の使えないフィルムが放棄された。(中略)結局、ビーティはこの三つの台詞をおよそ三十回繰り返した。プリントされた十一テイクだけで十五回、放棄された十六テイクにどれだけあったかは不明。

(中略)キューブリックはときどき演技について「リアルなのはいい、興味をそそられるのはもっといい」と語っていた。これは明らかにそのどちらでもなかったし、四十五分のフィルムを撮影してその半分がまっすぐゴミ箱行きという状況に、彼はひそかに憤りをおぼえていた。

だが、キューブリックはそれをうまく隠して、ここまでにしようと穏やかにクラックネル(引用者注、ファースト助監督のデレク・クラックネルのこと)に伝えた。そのシーンの撮影は翌日にあらためておこなわれることになった。(同書224227ページ)

 

 望んでいる結果が出ていないのであれば、リーダーにできることは、出るまで忍耐強くダメ出しを続けることくらいしかないのかもしれません。その際に、感情的に怒ったり怒鳴り散らしたりすることは厳に慎まなければなりません。誰も結果が出せなくていいとは思っていません。そのことを怒るのではなく、うまくいくようになるタイミングを待つのがリーダーにできることなのでしょう。

 

  限界を超えて要求する

 

しわのよった樹皮と肉厚な星形の葉をもつこの奇妙な植物を見て、キューブリックは興奮した。彼が求めている先史時代のエキゾチシズムをみごとに表現しているように見えたのだ。(中略)マールテンス(引用者注、南アフリカにおけるアンドリュー・バーキンの現地案内人)は依頼主に、クヮカブーム(引用者注、キューブリックが気に入った樹木の現地名)は絶滅危惧種で法律で保護されているので、もっとも広い地元の生息地は周囲に金網のフェンスが張り巡らされているのだと説明した。(中略)「だが、ぼくはこの木がとても気に入った。なにか方法はあるだろう。忍び込んで何本か拝借すればいい」バーキンは少し考え込んでからたずねた。「もしつかまったら?」

「つかまらないさ」キューブリックは言った。「できるかどうかたしかめてくれ。ぼくにとっては重要なことなんだ」(中略)バーキンはトラックを二台と十人ほどの労働者を雇った。「たくさんの賄賂が必要だった」彼は回想する。おもてむきは20世紀フォックスの映画の仕事で南へむかうということにしておいた。(中略)(引用者注、この後、南アフリカにいたアンドリュー・バーキンは、スズメバチの襲撃、ナミブ砂漠での洪水、不慮の火事に遭遇しながらもクヮカブームを何本か確保できた)バーキンがこれほど苦労して砂漠を運んだ木々も、『2001年』のヒトザルが登場する序章ではずっと遠方に二本ちらりと見えただけだった。

だが、それでもクヮカブームに心惹かれていたキューブリックは、MGMの美術部に頼んで新しい木を製作してもらい、そのうちの何本かが<人類の夜明け>で堂々たる姿を見せた。それらはイングランドで作られたものだったのだ。(同書363366ページ)

 

 仕事を任せるということは、その結果までもスタッフに任せるということではありません。仕事の結果は、リーダー自らの想定するレベルに達するまで、ときにはそれを超えるところにまで、達するようにスタッフに要求することが大事です。時には、常識、法律、物理的な条件などを超えて、結果を求めることがあって初めて新たに何を生み出すことができるのです。

 ただし、そうした得られた結果がすべて日の目を見るとは限りません。スタッフにとっては無理難題と思われたものを、なんとかクリアして結果が出ても、それは全体のなかのほんの一部分にすぎないことは往々にしてあります。そうした目につきにくいイノベーションが積みあがってこそ、製品やサービスとして一定の形をしたイノベーションが生み出されるのでしょう。

 

  憎まれない性格

 

ダメ出しや限界を超えた要求ばかりをしていたのでは、単なるワガママのリーダーで、誰もついてこないのではないかと危惧されます。実際、資料作成で事細かにダメ出しをされたり、終業時刻を過ぎてから、明日の朝一で使う資料をいちから作り直せと命じられたりして、プロジェクト・リーダーに振り回された経験を持っている方々を多いでしょう。

同じことを同じようにやっても、スタッフがついていくリーダーもいれば、スタッフが全員辞めてしまうリーダーもいます。

 

「彼は十人の名前を書いたリストをもっていた――それを見せてもらったんだよ――スタッフのなかの十人のリストをね」とバーキンは記憶をたどってくれた。「まずだれかがリストのいちばん上に一週間いる。つぎの週にはそいつがリストの二番目になって、リストのいちばん下にいたやつがいちばん上になっている。三週目には三番目、四週目には四番目。五、六週目になると、そいつはスタンリーに『わたし、なにかまずいことをしましたか?』とたずねる。するとスタンリーは、『いや、なにも。なにをいってるんだ?』と応える」ここでバーキンは劇的効果を狙ってひと呼吸置き、いかにも悲痛な哀願口調で盛り上げてくれた。「『わたしはあなたの愛を失ってしまったんですね』」

バーキンによると、そのあとキューブリックはすべて誤解だといって、不運なスタッフをつねに注目を浴びていられるリストのいちばん上にもどしていた、という。(同書427ページ)

 

 プロジェクトを進める上でリーダーに注目してもらわなくてかまわないというスタッフは、そうそういないでしょう。誰でも、自分の仕事やプロジェクトで果たす役割については、その重要性をリーダーの心に留めておいてほしいものです。

 同時に、スタッフたちを公平に扱うことも重要です。公平に扱うからこそ、誰にもチャンスがあり、行き違いはあっても、決定的な決別には至らずに、最後までプロジェクトが遂行できるわけです。リーダーに向く感情を公平に扱う術を心得ていないリーダーは、スタッフの間に負の感情を引き起こし、結果としてプロジェクトが頓挫してしまうのです。

 いかにイノベーティブなプロジェクトであっても、最後まで行きつかなかったというのでは意味がありません。プロジェクト・メンバーからリーダー自身が憎まれたり、無視されたりするようでは、プロジェクトが結果を生み出すはずがありません。この点を誤解したり現実として認識していないリーダーが、実はかなり存在するような気がします。

 

  去っていくものは追わない

 

 一方、スタッフ全員がプロジェクトの開始時点から終了時点まで、誰一人としていなくなることなく全員参加でやりきるということは、小規模で短期間のものでなければ、まず不可能でしょう。

 

キューブリックは『2001年』の撮影開始日を遅らせつづけた。いまでは、プリプロダクションの時期を通じて深くかかわってきたセット装飾家のボブ・カートライトが、デザイン案件に関する監督の専用アシスタントのようなものになっていた。(中略)カートライトは本来の仕事――セットの手配と装飾――が、結果的におろそかになっていると感じていた。キューブリックの遅延戦術にもしだいにいらだちを募らせていた。

そして十一月初旬のある日、ついに堪忍袋の緒が切れた。「スタンリー、あんたはぼくの話に耳を貸さない」と彼はいった。「どうしたら耳を貸してもらえる?」キューブリックが驚いたことに、カートライトは監督のデスクの上によじ登り、逆立ちをはじめた。(中略)

キューブリックとのつぎの打ち合わせのあいだ、カートライトは逆立ちしなかったものの、腹立ちがおさまったわけではなかった。「もうだめです」と彼はいった。「こんなことがつづけば、辞めて出ていくしかない」

「そんな真似はさせない」と監督が抗議した。

「いいでしょう、五週間か六週間の猶予期間をあげます」とカートライト。

「いや、それではうまくいかない」とキューブリックは答えた。「いまここで丸くおさめられるはずだ」

我慢の限界に達していたカートライトは拒否した。「そのあと、彼はとても不機嫌だった」とカートライトは回想する。「二度と映画の仕事をできなくしてやる、と彼はいった。彼の憤懣は理解できる。わたしが降参するのは公正ではなかった。本当は最後まで我慢すべきだった。でも、緊張がますます高まるのが感じられたんだ。ほら、なにも終えられない状態になると、なにもできなくなるだろう」

脅迫したにもかかわらず、十年後、キューブリックは『バリー・リンドン』(引用者注、注8のセット装飾家の地位をカートライトに提供しようとした――信頼の厚さの表れだ。(同書207209ページ)

 

 公式には、健康問題、契約満了、家族との時間をもつためなどの理由が公表されていたとしても、内実はこのエピソードのようなやりとりがあることでしょう。

 経緯や理由はともかく、スタッフが辞めてしまうのは、仕方がないことです。そこで感情的にならずに、それぞれのスタッフのスキル・実績・キャリアプランなどを事後にも把握しておいて、また別の機会に一緒に仕事をすることが可能な関係を維持しておくことで、次のイノベーションの機会を活かすこともできます。イノベーションは一発勝負ではないのです。

 

  自ら最も働く

 

十年後に『2001年宇宙の旅』でのキューブリックとの仕事について思い返したときも、スチュアート・フリーボーン(引用者注、メイクアップ・アーティストとして『人類の夜明け』パートでヒトザルの造形などを担当)のこの監督への敬意がゆらぐことはなかった。<人類の夜明け>の準備をしていたとき、彼は週に七日、「一日に十二時間から十六時間、ときには十八時間」働いて、四週間に一度だけ日曜日に休みをとっていた。だが、キューブリックも同じくらいハードに働いていた。(同書411ページ)

 

 プロジェクトを進めていけば、リーダーの言動は絶えず関係者の目に晒されます。そこで、リーダーが真摯に仕事に取り組んでいる姿を目にすることができれば、モチベーションのもちようもあります。

 もし、リーダーが現に仕事に取り組んでいる姿をあまり見ないとしたら、スタッフはどう感じるでしょうか。たとえば、宛がわれた個室でスタッフからの報告を聞いて指示やダメ出しをするのが仕事というようなリーダー、スタッフが大量の仕事を抱えてこれから残業という状況で特に理由もなく帰ってしまうリーダー、そもそも仕事の現場に一切姿を現さずどこにいるのかよくわからないリーダー、こういうリーダーが率いるプロジェクトがうまくいくとは到底、思えません。

 

  一貫性

 

映画のアニメーション部分の三分の二は、段階こそちがえ、未完成の状態だったので、彼(引用者注、ポスト・プロダクション、特に視覚効果のオーバーワークに対処するため1967年後半にロサンジェルスから新たに招聘されたベテランアニメーターのコリン・キャントウェルのこと)はただちに二十四時間シフト制を導入した。(中略)トランブルもそうだったが、彼もすぐに監督はたしかにすべてを束ねる船長だが、真の共同作業もできる人物だと悟った。「彼は一時も時間を無駄にせず、つねに集中していた」とキャントウェルは製作期間の最後の半年をともにすごしたキューブリックのことを語っている。「つくりだすものに専心し、耳を傾け、それがどこまで来ているのかを確認し、完成の域まで持っていこうと努力していた。あの映画はスタンリーそのものだ。すごいのは、その態度を貫くということ、そうありつづける、ということで、われわれはみんなそれに巻きこまれていったんだよ。なぜそんなことができるのか、それはそこに卓越したものがあったからにほかならない。なにもかもが卓越していた。でなければあんなことが起こるはずがない」(中略)

キャントウェルは『2001年』ではリアリティが重要だが、つねに追求されつづけている視覚的純度の高さのほうがより重要なのだということに、すぐに気づいた。映像は言葉による説明を無用の長物にしてしまうほどパワフルで、それだけで充分に自身の物語を語ることができるのだ。「スタンリーは終始一貫して一定レベルの抽象性を大事にしていた」と彼はふりかえっている。「彼は映像の人でそのインパクトを大事にしていたし、絶対にその姿勢を崩さなかった。そしてそれがすばらしくいい方向に働いていた」(同書474475ページ)

 

 「自ら最も働く」姿勢と同様ですが、仕事に向き合う姿勢であったり、物事を判断する基準であったりというのは、本人がいかに言い繕おうとも、徹底しているかどうかは、一緒に働く周囲の人々が敏感に感じ取るところのものです。

 ここで語られているのは、ひとつは働く姿勢について共同作業者として真摯に仕事に集中していることであり、もうひとつは映像の判断基準について一定の抽象性を大事にしていたことです。前者は仕事に取り組む姿勢についてであり、後者は仕事の結果に求める基準についてですが、現実のリーダーの多くは、こうした物事が大きくぶれるのではないでしょうか。

 起業しようとして新しい製品・サービスを開発するにしても、起業家自身の働き方に他の関係者がいい意味で巻き込まれて、自分たちで予想できる以上の結果を出すことが、どれほどあるでしょうか。多くの場合、起業家といっしょに仕事をしても、単に長時間労働になったり、結果のレベルを引き下げてしまったりというのが、現実の姿でしょう。

 また、そもそも、新たに生み出そうとしている製品やサービスは、どのようなものであるべきか、どのようなものであって欲しいのか、そうした要求や期待が不明確であったり、資金や時間などの制約の中で結果への妥協が見られたりするのが、日常の仕事と言わざるをえません。

起業やプロジェクト運営に限らず、われわれが日常行っている仕事の圧倒的に多くのものに、ここでいう一貫性が欠けていると思われます。そうであるならば、リーダーがプロジェクトを通じて一貫性を持ち込むことは、優れた結果を生み出すのに必須の条件といえるでしょう。

 

 以上、6種類の性格特性につてイノベーションを実現するリーダーにとって重要なものとして挙げましたが、このうちの3種類、つまり「仕事は任せて、ダメ出しを徹底する」「限界を超えて要求する」「去っていくものは追わない」というのは、ともすれば、自分勝手な振る舞いと受け取られかねず、このリーダーにはついていけないといわれても仕方がないような特性です。

それでも、多くのスタッフがついていくのは、リーダーが「この作品(製品、サービス)を作り上げたい」という気持ちに忠実なあまり、とっている言動であることをスタッフが日常的に感じ取っているからにほかなりません。

リーダーを取り巻く周囲の人々がそう感じ取る要因として、リーダー自身が「自ら最も働く」姿を見せており、個々の問題では妥協はあっても、その言動に何か「一貫性」があると感じられることも必要です。そして、一緒に働く姿を通じて、「この作品(製品、サービス)を作り上げたい」という点で邪念がなく、誠実に仕事に向き合っている姿勢が看て取れるからこそ、仕事で理不尽とも思える要求をしても、個人的にはそうそう恨まれたり憎まれたりすることなく、また別の機会にともに仕事をしようとすることもあるわけです。

 

【注8

 

「バリー・リンドン」予告編

この作品は、日本でいえば時代劇に相当するもので、衣装・武器、室内シーンなどは時代考証が必要で、美術監督やセット装飾の仕事は「2001年 宇宙の旅」とはまた別の種類の大変さがあったものと思われます。予告編の中ほどに見えるカードのシーンは、映画撮影用の照明を使わずに実際の燭光だけで撮影されているので(そのための撮影機材やフィルムを開発したというエピソードも)、それを可能とする美術や装飾の仕事上の工夫も求められたはずです。

ちなみに、ボブ・カートライトは「バリー・リンドン」のセット装飾家の仕事を別の仕事を理由に断ったそうです。

 

(6)に続く

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2019424日更新)