大林宣彦氏の訃報に接して(2)

 

大林宣彦氏の訃報に接して(2 

 

大林監督が商業ベースで制作・公開した作品のうち、筆者がはっきりと見た記憶があるものを公開年の順にリストアップしてみると次の通りです。 

 

「HOUSE ハウス」(1977年) 

「瞳の中の訪問者」(1977年) 

「転校生」(1982年) 

「時をかける少女」(1983年) 

「廃市」(1984年) 

「天国にいちばん近い島」(1984年) 

「さびしんぼう」(1985年) 

「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年) 

「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986年) 

「漂流教室」(1987年) 

「北京的西瓜」(1989年) 

「ふたり」(1991年) 

「はるか、ノスタルジィ」(1993年) 

 

  実際に最初に観たのは、「探偵物語」と劇場公開時に併映された「時をかける少女」です。それ以降の作品はすべて劇場公開時に観ていますが、「HOUSE ハウス」「瞳の中の訪問者」「転校生」の3作品は、名画座などで見ることができました。 

このなかで「廃市」は撮影期間が2週間でATGの配給ということもあり、自主映画のテイストが色濃い作品だった印象が強く残っています。福岡県柳川市で撮影されたこともあり、高畑勲監督の「柳川堀割物語」とともに堀割の街・柳川のイメージを強く形成するのに大きく影響しています。大林監督の作品では、尾道や小樽といった海に面して古い街並みの中に今の人々が生活する模様が描かれることが多いのですが、柳川もそうしたもののひとつです。なかなか改めて上映される機会のない作品ですが、「柳川堀割物語」とともに再度見てみたいものです。 

大林監督にとって少女というモチーフを体現する女優として、これらの作品のなかでは、小林聡美・原田知世・石田ひかりの3人がいます。また、人を食べる家の話である「HOUSE ハウス」の池上季実子、手塚治虫のブラック・ジャックの1作を映画化した「瞳の中の訪問者」の片平なぎさ、「野ゆき山ゆき海べゆき」の鷲尾いさ子と、若手女優を活かす監督でもあります。「アイ子16歳」でデビューした富田靖子が主演した「さびしんぼう」も、そうした作品のひとつと言えるかもしれません。 

一方、楳図かずお原作の「漂流教室」は、狭い教室に砂が入ってくるシーンで見続ける気持ちが失せてしまい、ほとんどのシーンは目が明いているだけでした。「野ゆき山ゆき海べゆき」も、意図的な台詞の棒読みや本人に合わせない衣装、そしてカラー作品と白黒作品の同時公開(筆者が見たのはカラー版)など、極めて実験的な作品ではありましたが、それが商業ベースの映画作品として観客に求められているものであったかは疑問です。 

これらに限らず、大林監督の特徴でもある、さまざまな映像面での実験をしながら作品を撮っていく姿勢は、必ずしも狙い通りの効果を生み出してはいません。自主上映作品の頃であれば、そうした姿勢そのものが評価されるのでしょうが、商業ベースの作品となるとそれだけでは厳しいものがあります。とはいえ、商業ベースの作品でも実験的な姿勢を貫くのは、他の映像制作者・映画監督には、やりたくてもできないことで、それを試み続けただけでも高く評価されるべきでしょう。 

もしかすると、子供のころからアニメーションや8ミリ映画を作っていた大林監督にとって、いろいろと工夫して映像を撮っていくプロセスが、とても楽しい時間だったのかもしれません。 

さて、もう一度このリストを見返すと、「北京的西瓜」(1989年)が明らかに浮いているように見えます。この作品には、少女も尾道もSF的な設定も一切出てきません。有名なのは、37秒間の空白です。いわゆる天安門事件が起こり、その影響で北京でのロケが中止になったことへの監督なりの主張と言われています。この作品あたりから、反戦平和をメッセージとして強く打ち出していく特徴が形成され始めたのかもしれません。 

筆者自身は90年代には映画や映像への興味を失っていったこともあり、「はるか、ノスタルジィ」よりの後に制作された作品については、まったく見ていません。したがって、反戦平和のメッセージを打ち出していく時期の大林監督作品については、言及する資格を持っていません。

 

(3)に続く 

 

  作成・編集:QMS代表 井田修(2020423日)