21 Lessons ~21世紀の人類のための21の思考~(4)
(4)新たなコミュニティ
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が迫るもののうち、一時的には数多くの雇用がなくなることには、一種のベーシックインカムである一律の給付金などで当座を凌ぎ、補助金・助成金などで時間を稼いで新たなサービスや製品を生み出すことにつなげていくことで、経済面での対応を進めていくことになりそうです。
しかし、アフターコロナ時代の働き方や生活様式の変更は、ついこの間まで言われていた「働き方改革」などとは比べるまでもなく、これまでの企業や産業の組織のありかたを抜本的に変えてしまうものでしょう。安全衛生上の理由以上にコストがかかりすぎるために、安全衛生上の理由以上にコストがかかりすぎるために、テレワークや在宅勤務が相当程度に普及し、出張や集合的なオフィスワークがかなり減少することは目に見えています。
今後は、従来のように同じ会社や団体に属する人々が特定の場所に同じ時間帯に集まって仕事をするという光景は、かなり珍しいものとなるでしょう。同じ組織に属するとはいっても、物理的に同じ職場(部屋)にいるとは限りません。同僚とはいえ直接会ったことは一度もない、ということが当然視される時代になるのです。
ところで、現実に多くの人々が属する社会=コミュニティというと、職場や学校ということになります。一人暮らしや引きこもりが多い現代では、家庭・家族というのは既にコミュニティとは呼ぶことが困難となっています。職場や学校というコミュニティですら、誰かと日常的に直接同じ空間を共有するといった経験は失われていくかもしれません。
言い換えれば、コミュニティとはいっても物理的に空間を共有するものではなく、いわばサイバースペース上の仮想的なコミュニティが大半を占めるようになりそうです。既に、オンライン飲み会などが普及し始めているなど、仮想的なコミュニティは現実となりつつあります。
人間には体がある。過去一世紀の間に、テクノロジーは私たちを自分の体から遠ざけてきた。私たちは、自分が嗅いでいるものや味わっているものに注意を払う能力を失ってきた。その代わり、スマートフォンやコンピューターに心を奪われている。通りの先で起こっていることよりもサイバースペースで起こっていることのほうにもっと関心を払う。(中略)
自分の体や感覚や身体的環境と疎遠になった人々は、疎外感を抱いたり混乱を覚えたりしている可能性が高い。(中略)自分の体から切り離されていては、幸せには生きられないだろう。自分の体にしっくり馴染めないなら、世界にしっくり馴染むことはできない。(「21 Lessons」122~123ページより)
私たちは物理的な存在であると同時に、心理的な存在でもあります。そのありようは、物理的な条件によって心理的な情況が左右されるものであることを、“自粛”という名の隔離生活を事実上強制されている現状を鑑みれば、痛感せざるを得ません。
DVやコロナ離婚などの家族間に発生している諸問題も、家族が一日中同じ室内にいるという物理的な状況が直接の契機となっているものでしょう。もちろん、家族や会社というコミュニティにもともとあった問題がCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)で顕在化しただけではありますが。
このように、心の問題が物理的な状況の変化で生じるという、至極当然の事象についても、今回のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)は改めて気づかせてくれました。アルベール・カミュの「ペスト」を人々が読もうとするのもまた、感染症の流行という人類が生存する限り不可避な事象に直面した時に、どのような行動や心持ちでいればよいのか、そのモデルを見出したいが故に他ならないからでしょう。
心や行動の問題を物理的・化学的に解明しようとしたり統計学や行動科学などの手法で読み解くことを追求した20世紀は、一方でオカルトや超科学や新興宗教がマスメディアを通じて流行していった時代でもありました。
科学が心の謎を解明するのに苦労しているのは、効率の良い道具が不足しているからだ。多くの科学者を含め、大勢の人が心と脳を混同しがちだ。じつは両者はまったく違う。脳はニューロンとシナプスと生化学物質の物質的なネットワークであるのに対して、心は痛みや快感、怒り、愛といった主観的な経験の流れだ。(中略)
心を直接観察する現代的な方法がないので、現代以前の文化が開発した道具をいくつか試してみる手もある。(中略)これらの文化がさまざまに開発したさまざまな方法を一まとめにして「瞑想」と呼ぶ。今日、瞑想という言葉は宗教や神秘主義と結びつけられることが多いが、原理上は、自分自身の心を直接観察するための方法はどれも瞑想だ。(「21 Lessons」403~405ページより)
このように、著者も心における科学の限界を指摘し、自らの心と向き合うための方法として瞑想を採り上げています。といっても、瞑想ですべてが解決するわけではないとも述べています。
瞑想が世界のあらゆる問題の魔法の解決策になるなどとは、私は断じて思っていない。世の中を変えるためには行動を起こす必要があり、こちらのほうがなおさら重要なのだが、団結する必要がある。五〇人が団結して協力すれば、五〇〇人がばらばらに取り組むよりもはるかに多くを成し遂げられる。もし本当に気にかけていることがあれば、それに関連した組織に加わることだ。今週中にもそうしてほしい。(「21 Lessons」403ページより)
ここでいう団結というのは、日本語でいう絆ではなく、問題解決に向けての組織作りとかプロジェクトチームで事に当たるというものでしょう。なんとなくわかったような、相互に理解ができたてよかったという程度のことで問題を置いておくのではなく、問題解決に向けて実際に行動に移すことを著者は要請しているのです。
ここでいう行動は、たとえばSNSで情報を拡散することでも始めることが可能でしょう。アプリを使って、問題解決に取り組んでいる人々に資金や物資を提供することも、行動の第一歩かもしれません。
そうした行動の結果として、新たなコミュニティが形成されることにつながります。それは、従来のように、年齢・性別・民族・宗教・言語・地域・国家体制といったもので区分されたコミュニティではなく、ITとネットワークで問題意識や行動の違いにより形成されるコミュニティです。
このように問題別に形成されるコミュニティ(イシュー・ドリブン・コミュニティ)の先駆けと言ってもいいのかどうかわかりませんが、趣味や嗜好の違いによって形成されてきたオタク文化も、いまでは国境や民族の違いを超えて広がり、半世紀前には思いもよらなかった関係が生まれています。イベントなどで直接会って語り合うことが困難になっても、ZOOMを通じてコスプレを互いに楽しむことが日常的に行われている現在、趣味や嗜好のコミュニティは自律的に運営されているものが数多くあります。
その一方で、団結して行動する前に、そもそも本質や真の姿を再確認することも重要かもしれません。
たとえば、プロ野球などで行われた無観客試合では、ピッチャーが投げるボールのうなりやバッターが打った打球が飛んでいきフェンスや観客席を直撃する音に、改めて驚かされたのは筆者だけではないでしょう。大相撲も観客の歓声がないと、生身の人間がぶつかり合って発する音の迫力に驚愕しました。
これらは、観客という雑多な情報を削除したところに見えた、プロスポーツの本当の姿ではないでしょうか。無観客のスポーツ中継は、いわば社会的な瞑想とも言えるでしょう。
ITでは5Gがこれから本格的に展開されますが、実際に観客がいるかどうかに関係なく、臨場感をさまざまに変えることでスポーツ観戦の楽しみ方もまた変えることが可能となります。そこでは、無観客モードとか満員で熱狂する5万人の観客モードといったように、離れた人々がオンライン観戦を通じて体験を共有することになります。実際にスタジアムや会場に行かなくても、オンラインの観客同士が架空の観戦者として参加することでウエーブや応援歌などもいっしょに楽しむのです。これは仮想的な団結といってもいいでしょう。
実際に現場で参加することはない以上、身体的環境や体感といったものは同時に共有することはあり得ません。しかし、ITを通じて共有された体験を通じて形成されるコミュニティも、次々と生まれてくるのです。
これらは、従来の仕事や地域社会を通じて形成されてきたコミュニティとは異なり、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを前提としたものではありません。当面は、こうして新たに形成されていくコミュニティにおいて、人がどのように感じ、考え、行動するのか、実験をしながら生活していくことになります。
ITにより共有された体験を通じて形成されるコミュニティは、電源をオフにすれば瞬時にコミュニティから離脱することができるという点で、従来のコミュニティとは比べられないほど容易にコミュニティのメンバーシップを自ら破棄することができます。故に、新たに形成されていくコミュニティは不安定かもしれませんが、コミュニティからの雑音から隔絶された状態を作り出すことも容易です。いわば瞑想状態にすぐに入ることができます。
固定的な身分制の封建社会を例として持ち出すまでもなく、20世紀においてもまだまだ個人は会社・職業・家族・地域社会・国家などの特定のコミュニティに縛られていた事実を想起すれば、個人とコミュニティとの関係を多種多様に容易に変化させることができる社会というのは、極めて21世紀的な事象です。個人とコミュニティの関係が容易に変化するということは、同時に、失業者やホームレスとは異なり目に見えない形でコミュニティに属さない個人が現れてくる社会でもあります。
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)は、こうした動きをより明確にし、加速させる契機となるのでしょう。
文章作成:QMS代表 井田修(2020年5月13日更新)