コロナ禍を考える二つの戯曲~「白い病」と「疫病流行記」を巡って~(1)
コロナウイルス感染症が流行するにつれて、昨年来、過去の疫病に関する記憶やそれに纏わる記録、創作物などへの関心が高まっています。アルベール・カミュの「ペスト」、ダニエル・デフォーの「ペストの記憶」、小松左京の「復活の日」といった小説を読んだことがある方も多いことでしょう。
今回のコロナ禍のようなパンデミックを扱った戯曲もあります。ここでは、カレル・チャペクの「白い病」(注1)と寺山修司の「疫病流行記」(注2)を採り上げて、コロナ禍のようなパンデミックとどのように向き合っていくのか考えてみたいと思います。
さて、コロナ禍の直接の影響という点では、「白い病」の新訳が出来上がったこと自体が影響そのものと言えそうです。
本書の翻訳は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、東京などで緊急事態宣言が発令された二〇二〇年四月七日に始め、その後、週末ごとにウェブサイトnoteで数場ずつ公開し、五月中旬に訳出を終えた。(「白い病」解説188ページ)
「白い病」を書いたカレル・チャペクは、「ロボット」という戯曲で今われわれが使っているロボットという言葉を生み出した作家として有名です。1937年に発表した「白い病」は、そのタイトルにある病気がヨーロッパを覆うパンデミックとなるなかで、枢密顧問官で大病院長のジーゲリウス教授、国を戦争へと導く元帥、元帥とともに軍備拡充を図るクリューク男爵、そして治療薬を生み出した(らしい)医師ガレーンが、それぞれの使命を全うしようとするストーリーです。
一方、「疫病流行記」は、戦争(太平洋戦争と思われる)中に陸軍野戦病院があった南洋の港町で、家々の扉は釘で打ち付けられ、部屋のなかでは箱の中に閉じこもって外から箱に釘を打ち付けさせる人もでてくる状況で、さまざまなエピソードを語り集めてみせるものです。「白い病」のような明確なストーリーはありませんが、釘打ちの行為、室内から箱のなかへ更に壜のなかへと閉じこもる行為、自分の正体が次々と変わる存在など、エピデミック(地域的に疫病が流行している状態)にあるときのいろいろな状況を描くものになっています。
残念ながら、筆者個人は実際の舞台作品としてはどちらの作品も見たことはありません。そのため、戯曲という文字ベースでしかこれらの作品を把握することができない限界はありますが、コロナ禍にある現在を考えるヒントか材料を見つけることができればと思います。
作成・編集:QMS代表 井田修(2021年3月15日更新)
【注1】
本稿では、表記・引用・解釈などを以下の書籍に依拠しています。
「白い病」 カレル・チャペク作 阿部賢一訳
岩波書店2020年9月15日発行(岩波文庫32-774-3)
【注2】
本稿では、以下の書籍に収録されている「疫病流行記」に依拠しています。
『新装版 寺山修司幻想劇集』 寺山修司作
平凡社2017年6月9日第1版発行(平凡社ライブラリー856)