人事に主義はいらない(2)
人事に〇〇主義という言葉が現れ始めたのは、成果主義が主唱され始めた時期でしょう。成果主義を説明するには、それまでの人事のあり方を成果主義ではない何ものかで名付けて、成果主義との対比を明らかにする必要があったからです。言い換えれば、そのころまでは、一般に人事の世界では〇〇主義ということはあまり唱道されていなかったのではないでしょうか。
一般に〇〇主義という考え方があると、その考え方に基づいて、〇〇等級制度というような人事処遇を決定する中核的な制度が構築されて、〇〇給制度という給与賃金制度が整備され、〇〇評価制度という人事評価制度が運用されていく、というように思われるかもしれません。
もし、そうであるならば、年功主義から年功序列(注1)が生まれ、それに伴って年功賃金が制度化され、年功を評価基準とする人事評価が行われることになります。同様に、職務主義という考え方から、職務等級制度・職務給制度・職務評価制度がセットとして設計・運用されること(注2)になります。
しかし、実態はそうではありません。歴史的な事実としても、○○主義という考え方から人事制度が構築されていったことは、個々の企業などで経営者や人事責任者が人事思想や組織・人事運営の考え方からゼロから体制整備に当たる場合を除いて、ありえません。
日本で言えば、第二次大戦後の高度成長期においては、個々の企業の成長・拡大と人手不足は今では想像できないレベルで激しいものでした。中途採用で即戦力人材を採ろうとしても、ふさわしい人材の質を無視したところで量的に絶対的に不足している状況でした。故に、多くの企業は新規学卒者(その多くは中卒・高卒で就職を希望する人たち)を採用して、仕事を覚えてもらうことが事業を運営していく上で必要不可欠でした。そして、仕事ができるようになったところで退職されたのでは堪りませんから、より長く自社に勤務してもらうように処遇上の優遇策を導入することになります。年功(自社に勤続している年数)が長ければより賃金が高くなり、年功のある人の中から現場の監督者(職長・班長など)を任命することで、更に勤続を長くしてもらうように仕向けていくことが人事労務施策として適切なものとなります。
こうした施策や人事労働慣行の積み重ねが、退職金制度も含めて年功色の濃い人事運用の実態を生み出したのです。そして昭和の時代が終わる頃には、前提となっていた経済成長や企業の収益の拡大が実質的にストップし、失われた30年(そろそろ40年も見えてきているが)に適合的な人事のありかたが求められるようになってきたわけです。
それに成果主義という名前を付けて売り出したのが、人事系のコンサルティング会社でした。さらに、経済メディアや経営学者がその動きに追随していったのです。
さて、成果主義が主唱され始めた30年ほど前に、まさに成果主義という言葉を捻り出したあるコンサルタントに先日、その当時の話を聞く機会がありました。
それによると、日本の人事系のコンサルティング市場に新規参入した外資系のコンサルティングファームでは、当初は米国本社で開発された職務評価システムや職務給の制度を外資系企業や日本企業に売り込もうとしていたそうです。しかし、既に1980年代半ばには職務給制度を導入した日本企業が大手を中心にいくつか現われてはいたものの、ほぼすべてが失敗事例となっていたため、本社主導での単なる売り込みは無理と判断したとのことです。そこで、能力主義や職能資格制度を唱えてはいるものの年功序列がいまだに色濃く残っていた日本企業に対して、自社のマーケットポジショニングをどうすべきか検討していくなかで、当初は「実力主義」という旗幟を掲げたそうです。
当時主流であった職能資格制度が発揮能力を見るとは言っても、現実には学歴で指標を代替する潜在能力を重視し、総合職と一般職といったコースで処遇を決定づけていた現実に対して、実力を見るべきではないかという問いを立てて、日本企業への売り込みに当たったそうです。ここでいう実力とは、3種類の「実」から成ります。「現実の仕事」で「実際の行動」を通じて挙げた「実績」で判断されるべきものであり、表面的なリアリティではなく、仮説と検証のプロセスを含んだアクチュアリティを重視したものであったそうです。
この「実力主義」はほとんど定着しなかったそうです。その最大の理由は、結局のところ、能力主義との違いがほとんど伝わらなかったからです。ただ、第三の「実」である実績のところを、実績とは単なる結果(売上高とか欠品率などの数値や目標達成度などの数値で表示される事後の結果)ではなく、結果とそれに至るプロセスを2軸とするマトリクスで評価したものと定義したのですが、この「結果だけでなくプロセスを含めた評価する」という部分が成果と理解されるようになったのです。またそう説明するようになるに従って、日本企業への売り込みがうまく行くようになったそうなのです。
いま振り返ってみると、結果と成果が似て非なるものという説明がセミナーやプロジェクトの提案書(プレゼンテーション)で次第に受け入れられていったのは、経営陣や事業部門に対して事業戦略の成果を反映させるというイメージをもつことで人事部門・担当役員の立場を強化するのに一役買うことができたのも一因と思われるそうです。もちろん、「他社がやっている」「世間で常識となっている(流行している)」というイメージも横並び意識が強い日本企業にとって、最大の売り文句であったことも否めません。
このように成果主義が普及していった状況にこそ、人事に〇〇主義を持ち込むことの弊害が指摘できます。即ち、人事が自社の強み・弱みを直視せず、第三者(コンサルタントや学者の立場)的な見方に捉われたまま、「他社も導入しているから」「これが今の人事のトレンドだから」ということで、自社固有の経営課題とは関係なく人事改革を行うことの愚が繰り返されてきたと断言せざるを得ないのです。
こうした弊害は、旧来の産業や古くからある業界、伝統的な大企業や官公庁だけに見られるものではありません。むしろ、ベンチャーや新興のIT企業の方に、同業他社との横並びや世間に合わせようとするマインドがより強く見られるように思えてなりません。
【注1】
年功序列に基づく等級制度・資格制度(年功等級制度とか年功資格制度と呼ぶべきもの)が過去にも現在にも存在しない点を指摘するだけでも、歴史的に〇〇主義から人事の諸制度が作られてきたわけではないことが理解できます。
年功序列は考え方というよりも、現実の人事運用の慣行から浮かび上がる人事のパターンとか習性と言うべきものでしょう。昭和の官公庁や大企業では、職位職階制度が運用されていたのが一般的で、ここに長期勤続奨励・終身雇用・新卒定期採用(中途採用は例外)といった雇用慣行が加わると、現実の賃金カーブが学歴別(かつ男女別)の年功要素の極めて強い(=学齢別賃金の幅が極めて狭い賃金分布となる)ものとなりました。
これはある程度は事実ですが、年功主義を導入していたからそうなったわけではありません。あくまで結果論としての年功主義が人事運用の実態のなかから浮かび上がってくるだけです。
【注2】
注1と同様に、職務主義も考え方(人事思想)から個別の等級制度・給与賃金制度・評価制度などが作り出されてきたわけではありません。
米国を例に考えてみると、農林漁業・鉱山石油業・建設業・製造業・港湾物流業など19世紀後半から20世紀前半にかけての経済成長を担った労働者(ブルーワーカー)の多くは移民労働者ですし、金融業や流通業などを支えて労働者(大半はホワイトカラー)もそうでしょう。彼らは、「今こういう仕事がある」ということで雇われ、次によりより(賃金が高い)仕事があればそちらに移動したり、不況などで解雇されれば仕方なく別の仕事を求めて別の場所へ移動したりということで、雇う企業も仕事の口(=ジョブ)があれば人を雇い、その仕事がなくなれば解雇するだけです。
これが職務給の原理です。ジョブに対して値札が付いており、その価格はスーパーで販売される生鮮食品のように日々変動するものです。
時代が下るにつれて、公民権運動やウーマンリブなどにより法規制が変わり、年齢・性別・人種(肌の色)・出身地・宗教(信仰)などによる差別(賃金や昇進などで格差をつけること)は一切禁止されるとともに、職務による違いだけが処遇格差を正当化する理由として認められるようになったわけです。
この結果を称して「職務主義の確立」と呼ぶことは可能かもしれませんが、職務主義が先にあったわけではないことは、しっかりと銘記しておきたいものです。
ちなみに、学歴は公的な資格・免許・証明とともに職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)のなかに明記されることが多く、要求される学歴がないことを理由に採用しないのは合法です。ただし、学歴は通常は必須の条件というよりも、あればより望ましい条件の一つということが多いでしょう。
作成・編集:人事戦略チーム(2021年10月7日)