人事に主義はいらない(4)
人事に〇〇主義といった縛りは必要ないとしても、労働市場における慣行や自社内の人材や人事に関する価値観や人事評価の基準などには〇〇主義と呼びたくなるものもあります。具体的にいえば、新卒定期採用、能力に対する給与、業績重視、「結果が全て」といったものがそうですし、ダイバーシティや従業員満足度重視というのもそうです。これらは、法的に問題がなく労働慣行や組織運営として現に行われているものである以上、当然のこととして敢えて問題視することもないでしょう。
そうした、一見当たり前のものに隠された〇〇主義が透けて見えることもあります。その代表例が定年制です。
少なくとも日本の法律では、一定以上の年齢であれば、特定の年齢で自動的に強制的に退職とすること(いわゆる定年退職)は何ら違法なものではありません。新規学卒者を定期的に採用している組織の場合、その多くは個人の実際の自然年齢とは関係なく、大学院博士課程修了者は27歳、大学院修士課程修了者は24歳、4年制大卒は22歳、短大卒者は20歳、高卒者は18歳という最終学歴別に設定した標準的な年齢(いわゆる学齢)で入社したものと見なします。
定年は自然年齢で決定しているために、同じ入社年で同じ評価を取り続けて同じタイミングで昇進したとしても、退職年は異なる場合があります。現役で大学に入学し留年がなく卒業して入社した人と、一浪一留した人では、定年となる時期が2年異なります。こうした事態は定年だけで生じるわけではなく、早期退職優遇制度への応募の年齢でも、役職定年制の対象年齢でも、学齢と自然年齢を二本立てで運用しているのであれば、同じ最終学歴の場合、浪人や留年をしている人とそうでない人では定年と同様の違いがあります。
表現を変えると、年齢偏重主義の人事制度とか最終(入社時)学歴偏重主義による処遇体系と言うことができます。ちなみに、人材募集時の年齢要件や年齢を理由とする強制的な退職は、日本では合法ですが、他の国では非合法とされることもありますから、海外で事業を行う際には十分に留意すべき事項です。
こうした一見問題がないように思えても、実は大きな問題を孕んでいるかもしれないのは、年齢に関する事項だけではありません。労働時間(出退勤)を見て部下を管理したつもりでいる管理職、在宅勤務や直行直帰といった勤務体制では部下を管理できないと思い込んでいるマネジメントとその思い込みを解消しようとしない経営陣、相変わらず女性比率の低いマネージャーや役員などなど、列挙すれば限がありません。
これらの例で問題なのは、仕事の成果よりも労働時間を重視するマネジメントのありかたそのものであり、うちはチームプレイを重視するから出社が必須といってリモートワークを前提にチームワークを維持し高める工夫を放棄して顧みない組織全体であり、いわゆる体育会系の組織風土を維持・強化することで男性中心の目に見えない社会を組織に作り出していることに気づきもしない社員全体です。
こうなると、うちの処遇方針は年功序列とはっきりと謳うほうがまだましかもしれません。その方針が嫌なら入社しない自由や退職する自由があるからです。どのような組織にも明確に打ち出された方針とは別に、組織の構成メンバー、特に経営陣や管理職、ベテランの社員が非公式に口にしたり、他の社員を否定的に評価するのに用いたりする表現(いわば陰口)にこそ、その組織が抱える〇〇主義が現れているのです。
その主義、言い換えれば、組織を支配する非公式な価値基準が、自社の公式の人事方針と矛盾していないか、改めて検討する必要があります。この矛盾や不一致は、どんなに先進的な取り組みを進めて従業員満足度が高い組織であっても、社員から「ここに問題がある」という声が絶えず上がり続けている現実がなければ、必ず矛盾や不一致が覆い隠されているはずです。
特に日本の組織は、相変わらず建前(理想、方針)と実態(現実)は別物と信じている人が圧倒的に多いでしょうから、公式の人事方針と人事の実態があっていなくて当然と本音ベースでは思っている経営幹部が大半を占めるかもしれません。
そうした観点からも、人事に〇〇主義は不要なのです。必要なのはお題目としての主義ではなく、現実を直視することです。そして、その現実で起きたこと(特に事故や不祥事、社員の自殺など)の原因を追究して適切な対応策を実施することです。それには、責任者の解雇・解職・減給などの明確な処分が行われることも忘れてはなりません。人事に必要なのは、けじめです。
作成・編集:人事戦略チーム(2021年11月2日)