キャリアチェンジのタイミング(3)
組織で仕事をすることを通じてビジネスパーソンのキャリアを形作っていくのがキャリアデザインの基本です。キャリアをデザインするということを換言すれば、仕事をする機会を提供する組織と、仕事をすることを通じてビジネスパーソンとして成長していく(ことが期待される)個人との共同作業です。
従って、組織も個人もともに単に仕事を与えてこなす静的な関係というよりも、組織も個人も新たな価値を顧客に提供する=新たな仕事を作り出すことがあったり、その結果、新たな組織を作り出したり新たに個人を雇用したりする、ダイナミックな関係であるはずです。ある個人の存在が組織のありようを変えることもあれば、組織が個人の能力・適性・個性などに大きく影響を及ぼすこともあるのです。
ところで、旧来の組織では暗黙の裡にキャリアデザイン=キャリアアップ=昇進・昇給という構図がありました。日本では、キャリアアップは多くの場合社内での昇進を意味し、組織外に労働市場が機能している米国などでは、キャリアアップは社内での昇進とともに転職による職位の向上でもあります。
外部環境どころか組織内部の環境(職場の物理的・心理的なありかた、仕事をする業務システムやコミュニケーションのルールなど)も急激に大きく変わる情況が日常化している現在、特にコロナ禍への対応においてそうした変化が実感される現在、キャリアップを目的としたキャリア観に縛られたままの人ばかりが自社の社員のというのでは、人材面における競争には勝てません。他社の処遇が明らかによければ転職する人も増えるでしょう。既に米国では“グレート・レジグレーション(大量退職時代)”として人事上の最大の課題となっています。
そもそも、キャリアアップには必ず一定の時間がかかりますが、その時間は急激な変化の時間でもあるため、その間にキャリアアップの基準すら変わる可能性が大きいのです。言い換えれば、旧来のキャリアップを志向したキャリア観を持たず、キャリアチェンジということを一人ひとりに実感させる仕掛けを組織に整備していくことが、現在の組織に求められるキャリアデザインをサポートするための人事施策に他なりません。その結果として、なかには昇進する人も出てくるでしょう。個々のビジネスパーソンにとっても、組織にとっても、キャリアアップは結果であって目的ではないのです。
それでは、入社1年目において組織としてキャリアチェンジを促すポイントはどこにあるのでしょうか。留意したいのは次の2点です。
第一に、組織として認めたくはないことですが、採用ミスは採用ミスとして認めて適切に対応することです。いかに採用プロセスを工夫して、採用基準を作り込んでも、必ず採用ミス(入社させるべき人材ではなかったのに入社させてしまったケース)は発生します。
新卒採用では学生も組織の側も、インターンシップを通じる程度の経験では、まだまだ相互に理解不足があるのが当然です。そのズレや誤解の部分を入社後に埋めることができないことも間々あります。
中途採用では、まだまだ多くの組織で職務経歴書を読んで判断するスキルやノウハウが十分とは思えませんし、入社する側もその組織のことをきちんと理解しているのかどうか不明なことが往々にしてあります。職種や労働時間(勤務体系)、賃金や福利厚生、休日休暇や労働環境など、基本的な労働条件で相互に誤解があったのでは話になりません。また、実際の日々の仕事への期待と実態とのずれや、職務経歴書に記載されている内容から想定されるスキルや職場や仕事への順応性などは、実際に仕事をしてみないと互いにわからないでしょう。
従って、採用ミスは不可避であることを相互に認めることが是非とも必要です。採用ミスをそのまま放置したり、ミスを認めず無理やり勤務を継続させたりするほうが、組織にとっても個人にとっても時間やエネルギーの浪費になります。
新卒にせよ中途にせよ、採用した人の多くが期待通りに仕事をすることが可能であるはずはありません。そのことを組織的にも個人的にも認めて前向きに対応すること、言い換えれば入社1年目の退職をタブー視しないカルチャーこそ、組織としてキャリアチェンジに前向きに取り組む第一歩と言えるのかもしれません。
第二に、入社した人を受け入れる組織の側の受け入れ体制が機能していないのでは、キャリアチェンジを論じるまでもありません。現実にはこの段階に留まっている組織が多いのではないかと思われます。
例えば、いつも同じ人がメンターやトレーナーになっていないでしょうか。これまでメンターやトレーナーを担当していて、採用した社員を定着させ戦力として機能するのに貢献してきた人がいれば、今年もその人を指名したくなります。一方、メンターやトレーナーとして自分の本来の仕事をこなしながら新人の定着支援や指導・教育なども行うのは、それなりに負荷がかかります。
そもそも、メンターやトレーナーを選ぶ基準や事前の研修を適切に行っているのでしょうか。また、担当する新入社員とのマッチングの程度などを事前にデータに基づいた調整を行ったり、定着支援や指導・教育の最中にもレポーティングやストレスチェックなどを通じて双方の情況をモニタリングしたり、事後に習得したスキルを確認したりするなど、定着支援や指導・教育が想定される成果を挙げているかどうかをしっかりと確かめておくことが必要です。
慣れているからメンターやトレーナーがいつも同じ人であったり、極端に年齢が離れているとか職種や経歴が大きく異なるなど、人間関係の構築や維持が難しいのではないかと訝ざるをえない人選が行われていたりするようでは、その組織は新たに入社した社員を受け入れる体制を整備する気がないと言わざるを得ません。そのような組織ではキャリアチェンジを考える機会をもつことは難しいでしょう。
入社3年目程度の社員についても組織としては主にふたつの点でキャリチェンジを考えるきっかけを用意すべきでしょう。
ひとつは、ロールモデルを見つけるきっかけを組織的にもつことです。これほど、言葉でいうことは簡単でも現実に行うことが困難なことはありません。
ロールモデルは単なる若手のスターではありません。3年目ともなると、目立った成果を挙げている人もいるでしょう。そうしたスター社員をロールモデルとして制度上(明示的に)提示しなくても、日常的なコミュニケーションで徐々に浸透していくものです。
その姿を見たり聞いたりしても、一般の社員は「自分はあのようにはなれない」「自分には関係ない」と諦め感をもってしまいがちです。これではキャリアを考える上でのロールモデルというよりも、出世は諦めろというメッセージを伝える広告のようなものです。
ロールモデルは本来であれば、新人時代のメンターやトレーナーであったり、現在の職場のマネージャーや先輩であればいいのですが、必ずしも適切な人が身近に接するなかにいる保証はありません。むしろ、身近に見る社員、時には顧客や社外のスタッフなどの中から、ある部分は見習いたいと思えるところがあれば、その部分を抜き出して真似をしていくほうが、実効性があるでしょう。
そうした気づきを本人が体得するには、マネージャーや先輩の日常的な言動が決定的に影響します。それだけではロールモデルへの誤解や偏りが生じるかもしれないため、3年目までにはキャリア面談などの公式な場を通じて、人事部門かキャリア開発部門がロールモデルを見出すヒントを示唆することが求められます。
ふたつには、今の仕事やその延長上の仕事や成果を見直す機会をもつことです。具体的には、ジョブクラフティングを試みるプログラム(ミーティングや目標設定時に職務の内容や職場の役割の見直しを行うなど)を用意したり、次の入社希望者(就職希望者)に自分の仕事を説明する機会を設けたりして、仕事の現状を見直す契機を作り出すことです。
こうした機会を通じて、仕事で長く活躍するにはキャリアチェンジをいつも意識しておくことが必須であり、キャリアアップを目的にするキャリアデザインには意味がないことを体感するように、キャリアの早期から組織的に対応しておきたいものです。
入社5年目ともなると、多くの企業でキャリアを見直したり何らかのチャレンジを試みるように制度化されてきます。例えば、海外留学のチャンスがあったり、MBA や公的資格を取得する機会が得られたり、自己申告やキャリア面談などを通じて他の部署や職種への異動希望を出したり、1ヶ月以上の長期休暇を与えられたりするかもしれません。なかには、自社やグループ会社と関係のない企業への他社留学があったり、NPOなど営利企業以外の組織への社外留学があったりするところもあります。独立して起業する人に会社が資本をいれる選択肢を用意している企業もあります。
こうしたキャリアチャレンジを強制する必要はありません。ポイントは、いつでも機会は開かれていることを実感してもらうことで、同期とか先輩・後輩が留学や長期休暇取得といった具体的なアクションをとっている実例が身近にあることが重要です。社内異動を希望する場合でも、これまでの職務経歴書を作成して異動希望先の責任者に提出するといった、本当の転職活動さながらの仕掛けがあるほうが、よりキャリアチェンジを真剣に自分のものとして捉える上で望ましいでしょう。
このタイミングでは、これまでの仕事や成果の棚卸しを行ってキャリアの次のステップは考える機会を制度化しておくことが、組織として最低限求められるルールです。その際に、所属部門や人事部門がこれまでの人事に関する情報を本人にフィードバックしたうえで、本人の思い込みだけでキャリアを考えることがないようにサポートすべきでしょう。
さて、7年目くらいになると、仕事だけではなくキャリアブレイクをも見据えたプログラムを社員に提示していく時期でしょう。もっと早い時期からキャリアブレイクを迎える人も少なからずいますが、遅くともこの時期までには仕事以外の面にも目を向けるプログラムをキャリアチェンジと絡めて検討しておきたいものです。
結婚および結婚後に配偶者が転勤になった場合の対応、育児休業や育児のための時短勤務への対応、介護休職およびその復帰のための施策、本人および家族の健康管理および疾病対策、住宅ローン等の金融サービスとキャリアチェンジ、資産形成・年金などとキャリアチェンジなど、一度は考えておくべきテーマは多岐に亘ります。
個々のテーマについては、財務面やワークスタイルを含めた様々な面におけるシミュレーションが必要となります。外部の福利厚生サービスを活用するなど、それぞれのテーマに沿ったシミュレーションはある程度可能ですが、キャリアチェンジまで含めた対応は難しいかもしれません。社内のシステムで個別の相談に対応するとともに、属人的なサポートも可能な限り行う用意があることを組織として明示しておきたいところです。
同時に、「もし〇〇が今(5年後、10年後、……)起こったら」というキャリアにおけるリスクを想定して、一度は対応策を本人が考えてみる機会をこのタイミングでもっておくべきでしょう。
そして、10年目ともなると、遅くとも一度は社外のキャリアカウンセラーなどによる面談などを通じて、キャリアカウンセリングを行う必要があります。というのも、10年程度の時間が経つにもかかわらず、キャリアについて客観的な視点も入れた上で正面から向き合うことを行わないと、なんとなく勤務を継続していき、旧来のキャリアアップ(=昇進・昇給)観に縛られた人を作っていってしまう虞が大なのです。
既に一度はこれまでの仕事や成果の棚卸しを行ってキャリアの次のステップは考える機会をもってはいるでしょう。それに加えて、所属部門や人事部門がこれまでの人事に関する情報を本人にフィードバックして、社内で取りうるキャリアモデル(これまでの社員における典型的なキャリアパス)を示します。
更に、社外でのキャリアのチャンスやキャリアモデルの実例などを紹介した上で、現状延長のキャリアプランが本質的にもつリスクや社外で活躍する可能性やそのための条件などを整理しておく時期にあることを、本人に理解してもらうのに必要なコストと時間・労力をかけるのが組織の責任と言えるでしょう。
キャリアチェンジは個人と組織の相互作用です。このままでよいのか他に活躍できそうな道はないのか、入社後20年も30年も経ってから問題に直面するのでは遅すぎます。
そもそもセカンドキャリアという発想自体がダメです。セカンドではなく、いつでもより活躍できそうな道を探すべきでしょう。そうでなければ、高齢化少子化が更に進行するものと想定される事業環境のもとで、現実に今求められる「現役で仕事を50年以上も続けること」は不可能なのです。
こうしたことを自分の問題として本人が検討することが10年目までに向き合うべきキャリアデザイン上のテーマです。組織には、個人に対して問題に向き合う機会を保障することが、人事の政策・ルールとして求められるのではないでしょうか。
作成・編集:人事戦略チーム(2022年5月11日)