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「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」にみる無から有を生み出すリーダーシップ(7)

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」にみる無から有を生み出すリーダーシップ(7

 

前回まで「皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」に描かれているエピソードを交えながら、軍事力も経済力も宗教的な力といったパワーの源泉として有力なものを何ももたない中から、政治力をもって新たな世の中を生み出していったフリードリッヒ二世の姿をご紹介してきました。

そこから、何もパワーがないと本人も周囲も思っている場合にこそ、ベンチャーや組織改革をやる上で参考とすべきヒントを見つけ出すことができます。たとえば、自社に技術がなくても、技術者が仕事をやりやすい環境を作ることでイノベーションにつなげるには何から手をつければよいのか、資金がなければファンドから引っ張ってくるとしてそのためには何をアピールすればよいのか、人がいなければ採用するといってもどのような人から採用すべきか、そうした課題にチャンレンジしていく際に、何かしらの指針が得られたはずです。

 

自分に何もない状況であってもリーダーシップを形成していくには、わずかなチャンスでも掴んで限られた範囲であっても実績を積み重ねていくことが、まず求められます。可能であれば、婚姻関係や女性関係といった個人的な人間関係についても、メリットがあれば積極的に活用することです。フリードリッヒ二世にとって最初の結婚の最大のメリットは、妻コンスタンツァについてきた騎士たち500人、すなわち自前の軍事力を持つことでした。それを活用して、まずはシチリア王国を安定させる意思(本気である姿勢)を見せることが、統治者として最初に示した実績に他なりません。

リーダーシップ、特に政治的なリーダーシップにおいて、情報や人脈の重要性は改めて述べるまでもありません。多くのリーダーにとって課題となるのは、重要性はわかっていても、耳にしたくない情報でもはっきりと入れてくる側近でしょう。ただ、その存在は疎ましく思いがちであり、気心の知れた仲間内の人間関係から逸脱するには不快感や恐怖心が必要性や好奇心に勝ってしまいます。フリードリッヒ二世には、もともと人脈がなく、情報と言っても読書から得るくらいですから、ある時点から思うがままに情報や人脈を活用するようになったのでしょう。

起業などビジネスにおいても同様のことが言えます。ビジネスリーダーだからといって、顧客開拓もできれば技術開発もできて、財務もわかれば人事もできる、などというのはあり得ません。ビジネスリーダーとして、自分にとって何ができることで、何ができないこと・苦手なことであるのか、まずは、その洗い出しをします。そして、できないこと・苦手なことは、信頼のおける人に任せるしかないのです。

特に自分とは異なるタイプ(性格や行動など個人的な属性)や出自・経歴・能力などを有する「信頼に足る」人材、特に世代が異なる程度に年上の人材を引き付けることができれば、実績は後からついてくるというものです。

もちろん、信頼のおける人、それも自分よりも年長の人というのは、そうそう見つかりません。だからこそ、リーダーになる前の時期にこそ、さまざまなタイプの人々と交流して、信頼に足る人を見つける時間と労力を惜しんではいけないのです。

 

 モノやカネやチカラがなくてもリーダーシップを発揮するには、人材や情報の重要性は強調しすぎることはありません。

フリードリッヒ二世について言えば、ないもの(体系的な法令)は新たに作り、足りないもの(人材)はその不足を埋めるべく供給機関(大学)を設けることで、次第に統治の仕組みやそれを担う人材を確保できるようになっていきます。

何をするにしても、やりかたのルールを定めたり、いっしょにやる人々を集めたり教えたりすることでリーダーシップを発揮することができます。自分がすべてをやる必要がないどころか、多くの人々が活躍できる場を設定することができれば、そのほうが広く世の中に影響を及ぼすことにつながります。

皇帝といえども、「ディエタ」や「パルラメント」を主宰して有力者を説得して賛意を得たり、自ら議長となって王室会議(現代の閣議に相当)を日常的に開いて国政を進めていく姿は、現代のCEOと何ら変わることのない姿です。皇帝もCEOも、日常的にはこうした会議やミーティングを巧みに進めることが、まさにリーダーシップを発揮することに他なりません。

こうした人々とのコミュニケーションを通じて、時には言葉を発明することもあります。現代でも、言葉は概念(アイデア)を形にしたものであるはずで、何か新しい概念があるのであれば、新しい言葉が生まれます。フリードリッヒ二世は、古代ギリシアの哲学や科学をラテン語に翻訳する作業を通じて、イタリア語を形成していきました。これを一種のイノベーションと見るならば、多種多様な人々がいろいろな知見を持ち合って一つの作業に従事するなかから、次のイノベーションが生じるのではないかと思われます。そうしたイノベーションを引き起こすリーダーシップは、リーダー自らが採るコミュニケーション戦略に負うところが大きいとすれば、強みや資源が何もないと思っているリーダーにとってコミュニケーションこそが最も力を入れるべきものです。ビジネスでも同様で、リーダーのコミュニケーションのありかたが、事業や組織を決めるのです。

 

現代においてもそうですが、フリードリッヒ二世が統治を行った中世においても、ルールが公平かつ透明に適用されることはリーダーシップの強化に不可欠です。フリードリッヒ二世でいえば、長男ハインリッヒの扱いに公平かつ透明なルールの適用が看て取れます。

長男ハインリッヒは父に継ぐ統治者として期待されていましたが、ドイツの諸侯との間で政治的な緊張関係を作り出してしまっただけでなく、皇帝と敵対するローマ法王グレゴリウス九世やロンバルディア同盟と手を結んで軍事行動に打って出たために、皇帝に対する反逆罪に問われました。

皇帝の長男といえども、その罪は軽減されず、盲目とされ幽閉されます。他の諸侯や貴族などが同様のことを行った場合と同じ扱いをせざるを得なかったでしょう。厳しいようですが、ダメなものはダメ、と公平に事態に対処することで、フリードリッヒ二世は身内を贔屓しないリーダーシップを体現しています。

同様の例は、部下や側近から出現した反逆や裏切りについても見られます。嫡子だから、お気に入りだから、ということで甘い処分を下すようではリーダーとして不適格だということが、誰に言われずとも自覚的に理解し実践できなければ、人はそのリーダーについていくことはないのでしょう。

 

さて、対外的な競争環境におけるリーダーシップという面からフリードリッヒ二世を考えてみると、「破門」と「異端」という負のブランディングに晒されながらも、正々堂々と主張すべきことを主張して戦ったリーダーの姿を見ることができます。

キリスト教世界において法王と皇帝は協力して他の外敵から守るべき存在のはずです。現代の闘争でもそうですが、外敵との戦争はそれはそれで悲惨であったり惨たらしいものであったりしますが、戦闘の苛烈さという点では内戦のほうがひどいのではないでしょうか。また、外敵との戦争はいつか終止符が打たれるものですが、内戦は戦後もさまざまな悪影響が残り続けます。それが新たなクーデターを生じさせたり、国家や社会情勢を安定させるという名目で独裁が生まれる契機ともなります。

企業でも同様のことは起こります。ライバルの同業他社との競争は激しくても、一定のルールや節度をもって行われるものです。しかし、本来は味方であるはずの元請け業者や納入業者などとのトラブルや紛争には、不法行為や不正が横行することでしょう。まして、社内での闘争、たとえば出世競争や派閥争いとなると、表立っては友好的であっても腹の底ではどのような考えが蠢いているのかわかりません。それらが表面化する時には、いきなり役員解任や懲戒解雇といった「破門」や「異端」を凌ぐ扱いが待っているのです。

考えてみれば、社内のリーダーという立場こそ、軍事力も宗教的権威もないのは当然ですが、これといった形だけの権限規定やマニュアルはあっても、実態としては単に社内政治のパワーゲームだけで成り立つものでしょう。規模の大きな組織のリーダーほど、さまざまな委員会やスクリーニングプロセスを経るとしても、結局は社内力学で決まるものです。そうした存在が、本当の権威、特に社外からのパワーに挑まれた場合は、ローマ法王を二度も窮地に追い込んだフリードリッヒ二世以上の政治力が必要になるでしょう。

次に、枠組みを業種業界という括りで考えてみると、イノベーションと呼びうるような真の価値創造を行うには、同業他社から異端呼ばわりされるくらいでないと意味がないことが予想されます。既存の業界秩序や当該業種における常識に同業者でありながら正面から反旗を翻すという行為は、それがいかに論理的に正しいことであっても(むしろ正しいが故に)、既成の枠組みの中で利益を得ている他社からすると、思い上がりにしか見えないでしょう。

まったく無関係なところから進出してくる「異教徒」の新興ライバルよりも、同じ業界や事情が分かっているはずの近しい業種から進出してくる「異端者」的な競争相手のほうが、競争関係は激しくなることに相違ありません。企業間競争と言えば、関係が近い企業同士のほうが徹底的な叩き合いになりがちです。

そうした苛烈な競争に迫られたなら、時に禁じ手を使うことも躊躇してはなりません。ローマ法王相手に軍事力を使うのは禁じ手かもしれませんが、その手段に訴えない限り、相手は闘争を諦めないのであれば仕方はありません。

やるべき時は、タブーであっても、やるべきことをやるのがリーダーです。前例の有無や常識や枠組みに囚われては、現状を打破することはできません。自らの論理や仮説や主張に正当性があると思うのなら、そしてそれを関係する人々に説いて理解が得られるなら、やるべきことをやるのです。

もし、敵対するはずの勢力の中にもこちらの主張に分があると思う人々が出始めれば、好機が到来したと判断すべきです。リーダーシップとは身内だけに向けられたものではありません。味方に説明すると同時に、同じものを敵の中にも散布して、こちらの根拠や主張を説いて影響力を及ぼすこともリーダーのコミュニケーションとして忘れてはなりません。

 

最後に、後継者へつなぐという、確立したリーダーシップが迫られる普遍的な課題についていえば、あとを継いだ次男のコンラッド四世が早期に亡くなり、フランス王ルイ九世の力が強まるなどして、皇帝フリードリッヒ二世の政治体制は瓦解していき、いわゆる大空位時代へと移行していった結果だけを見れば、フリードリッヒ二世のリーダーシップは未完成だったと言わざるを得ません。言い換えると、封建制の支配体制から政教分離に基づく集権的な法治国家へと転換しようとしたフリードリッヒ二世のリーダーシップは、後継者に引き継いでも運用可能なレベルにまで完成度は高まっていなかったことが実証されています。

 後継者をどうするのか、その決定方法や権限移譲プロセスなども含めて、政治体制も企業組織も未だに正解への道筋も見当たらないでしょう。こうした後継者問題を指摘される企業は、特に創業者世代から次に繋ぐ際に数多く見られます。

 世襲が良いかどうかは別として、フリードリッヒ二世のリーダーシップのありかたから少なくともひとつ確言できることは、自らが選んだ後継候補者であっても、問題行動があったり期待される実績を挙げることができなかったりした際には、後継候補から除外しなければならないことです。これは長男ハインリッヒの例で示されます。

もし、後継者としてダメだということが明らかになった時点で即座に後継者候補から外さなければ、現在の体制を支えるフォロワーシップがもたなくなる虞が大きいのです。世襲であるならば、この点は余計に厳しく判断すべきです。

ちなみに、フリードリッヒ二世は嫡男以外の子供たちを自分の身近に集めて教育したと言われています。これは、後継者候補の育成という面よりも、政治体制整備の一環として、政治的にも軍事的にも有能な諸侯を各地に配置することが必要であり、そのための人材育成ではあったと思われます。

少子化が進んでいる現状では、嫡子(特に嫡男)に後を継がせるということは、ほぼ自動的に特定の個人を後継指名することを意味します。もし、その後継者が不適格であることが明らかになった場合のプランBを公式化するのであれば、最初から嫡子に限定せずに広く後継者候補を組織の内外で探すほうがよいかもしれません。

 

以上、フリードリッヒ二世のリーダーシップからは、次の6点が特徴として浮かび上がってきます。

第一に、自分に何もない状況であっても、そこからリーダーシップを形成していくには、わずかなチャンスでも掴んで限られた範囲であっても実績を積み重ねていくことです。

第二に、情報や人脈の重要性のうち、自分とは異なる立場・年齢・社会階層などの情報や人脈こそ、重視することです。特に、気心の知れた仲間内の人間関係に浸りきってしまわないように十分に注意することです。フリードリッヒ二世のように、そうした近しい人々がもともといないほうが将来のリーダーにとっては望ましい環境と言えるかもしれません。

第三に、ないもの(体系的な法令)は新たに作り、足りないもの(人材)はその不足を埋めるべく供給機関(大学)を設けることです。ルールや仕組み、人材を確保するには、自ら作ったり探し出したりすることが必要なのです。

第四に、何をするにしても、やりかたのルールを定めたり、いっしょにやる人々を集めたり教えたりすることでリーダーシップを発揮することができます。自分がすべてをやる必要がないどころか、多くの人々が活躍できる場を設定することこそ、リーダーの仕事です。

第五に、対外的な競争環境におけるリーダーシップという面からフリードリッヒ二世を考えてみると、「破門」と「異端」という負のブランディングに晒されながらも、正々堂々と主張すべきことを主張して戦ったリーダーの姿を見ることができます。

最後は、後継についてです。後継者のことは考えて指名するとしても、創業者だったり偉大なリーダーを自認していたりしているうちは、自分が元気な間に後継者にバトンタッチするのは無理でしょう。そうであれば、後のことは考えても無駄かもしれませんが、広い意味で後世に託すことは可能です。実際、フリードリッヒ二世の考え方、今日いうところの政教分離といったものは、特定のリーダーが受け継ぐのではなく、万人が受け継いでいる点に後継力の強さが現れていると言えます。

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2022912日更新)