バート・バカラック氏の訃報に接して
今日、作曲家で自ら演奏し歌うこともあったバート・バカラック氏が、今月8日に自宅で死去していたことが報じられました(注1)。自然死とのことで94歳でした。
氏はピアノの教習は嫌いだったものの、幼少期からさまざまな楽器を弾き、高校生の頃にはアマチュアバンドを率い、ニューヨークで作曲などを学び、陸軍に入隊中は将校クラブでピアノを弾いたりしていました。
作詞家のハル・デヴィッドと組んで数多くのヒット曲(注2)を生み出す一方で、マレーネ・ディートリッヒの3年間に及ぶ欧米ツアーの音楽監督としてステージにも立ったり、映画音楽やミュージカル作品も作り出しました。その活躍は1950年代後半から1980年代前半を中心に続きました。
その後も多種多様なアーティストと共作・共演したり、多くのミュージシャンからオマージュを捧げられています。その中には日本のピチカート・ファイブの名もあります(注3)。
このように多面的に活躍し、アーティストに楽曲を提供する作曲家でもあり、自らピアノを弾きながら他のミュージシャンと共演するパフォーマーでもあるバカラック氏の音楽は、人により時により場所により、お気に入りの作品や耳に馴染んでいる曲がいろいろと挙がりそうです。
筆者にとって最初にお気に入りとなったものは、映画「ミスター・アーサー」の主題歌“Arthur’s Theme (Best That You Can Do)”(注4)でした。また、映画「明日に向かって撃て」の主題歌“Raindrops Keep Falling on My Head”は、映画を観る前から音楽は知っていたものの、実際に映画を観て、映像と音楽のありようの一つの型を知ることになりました。
氏が作った曲ということは知らなくても、例えば、カーペンターズの“(They Long To Be) Close to Me”、パティ・ラベルの“On My Own”、ディオンヌ・ワーウィックの“Do You Know the Way to San Jose”、エイズ研究へのチャリティとして再活用された“That’s What Friends Are for”(注5)といった楽曲は若い頃から聞き馴染んでいます。
一見(一聞)では聞き心地の良い消費されるだけの音楽に思われながら、しっかりと聞きこんだり自分が歌おうとすると、転調や変拍子が続くところにプロの腕を見せられる思いがします。まさに、20世紀のポピュラー音楽を芸術に高めたアーティストの一人でした。
【注1】
たとえば、以下のように報じられています。
バート・バカラックが94歳で死去 20世紀を代表するポップス作曲家 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
また、公式HPに記事があります。
A House Is Not A Homepage | The Music of Burt Bacharach (bacharachonline.com)
【注2】
以下のサイトにある“Written by Burt Bacharach”に代表的な100曲が紹介されています。
バート・バカラックが94歳で死去 20世紀を代表するポップス作曲家 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
【注3】
注1の公式HPの“Biography”にOASISやREMと並んで言及されています。筆者のあやふやな記憶で恐縮であるが、ピチカートファイブの小西康陽氏が自分たちの音楽にバート・バカラック氏のテイストを採り入れている(採り入れたい?)とコメントしていたような気がします。参考までにピチカートファイブの音楽を紹介します。
【注5】
作成・編集:QMS代表 井田修(2023年2月10日)