“正しい”努力(2)
一人ひとりが努力をしていれば、組織全体として相応の結果が出るはずです。ここで言う結果というのは、売上であったり利益であったりしますが、売上や利益を求める行為が努力ということなのでしょうか。
ビジネスの現実世界では、売上や利益を結果として求める組織ほど、欲しい結果が得られないことがよく起こります。売上や利益といった結果を経営者や上司が強く求めるほど、現場(部下)は間違った行動に走りがちです。時には、顧客や取引先に詐欺を図ったり脅迫で契約をするように迫ったり、在庫の回転売買や押し込み販売を行ったりする事例も珍しくはありません。更に、自爆営業や帳簿の改竄などの不正行為に及ぶケースもあります。
これらが“正しい”努力と呼べないことは論を俟たないでしょう。
“正しい”努力について最初に問われるのは、求めている結果が適切なものかどうかです。売上を向上させるというのは、いつでも望まれる結果に見えますが、必ずしも適切なものと言えるわけではありません。
売上を上げるために、製品やサービスの幅をとにかく大きく広く取って、何でもとにかく受注するのは、本当は組織全体にとって望ましいことではないでしょう。そのために、製品やサービスを提供できる体制を多大なコストをかけて整備し保有していては、利益面でマイナスとなる場合も出てくるからです。
一人ひとりの営業担当の営業努力をすべて受け入れていては、会社全体の利益が損なわれるかもしれません。セクショナリズム・部門最適に陥っている組織では、個人の努力が全体の不利益になりかねないのです。
ちなみに、売上や利益といった数値ばかりではなく、営業活動の指標(いわゆるKPIなど)を目標として設定する会社も多いでしょう。その達成状況を評価することで結果を求めるとしても、設定する目標に偏りがあると同様のことが起こります。新規開拓件数であったり、顧客からの引き合い件数であったり、営業活動のさまざまな指標を目標とするとしても、活動の結果だけを指標化してその達成度を結果の代理指標とするのでは、どうしても指標化した活動だけに営業担当の努力は偏りがちです。
つまり、特定の指標に紐づいた営業活動に注力することを努力と呼ぶならば、これもまた個人最適が組織全体の最適につながらない虞が十分にあるため、とても“正しい”努力とは呼べません。
売上や利益といった財務指標や特定の活動指標を結果と見做すマネジメントである限りは、結果のまぐれ当たりや担当顧客の業績悪化(最悪は倒産)による打ち切りといった、本人にはどうしようもない事情による結果の変動が避けられません。個人の努力がいかに真っ当なものであっても、結果がでないことはあるのです。
そこで、個人の努力について結果を問うのではなく、顧客との関係性を問うことが望まれます。いわば“Client first, money follows”を実行するのです。その意味するところは、顧客第一(で仕事をすれば)、金は後からついてくる、という経験則に従うことを個々の営業担当に求めるのです。
これがいつも“正しい”努力と言える保証はありませんが、金(売上や利益)を結果として求めるよりは、顧客が今求めていることは何か、顧客の利益につながることは何か、そのために自社の製品やサービスで支援できることは何か、といったことを問うことのほうが営業の“正しい”努力言えるのではないでしょうか。少なくとも、より長期的で安定的な関係を維持・向上させることで、収益面でも結果が上がっていくものと予想できます。
営業を例にとって、“正しい”努力といわゆる結果との関係を考えてみましたが、他の職種や部門でも同様です。開発や管理といった仕事においては、より長期的なスパンで結果を求めざるをえなかったり、仕事の仕組みが決まっている中で繰り返しが多いかイレギュラーな事項を取り扱うばかりで、今、自分が何を結果として求められているのか、明確には定義されていないことすら往々にして目にします。
個人であれば、適切な結果をイメージすることは実に容易でしょう。「今年の夏は25メートル泳げるようになる」という目標に対して、〇〇プールで長いほう(25メートル)を一度も足を付かずに泳ぎ切るというゴールを具体的にイメージできない人はいないでしょう。
“正しい”努力のスタートは、このようなゴールのイメージをできるだけ具体的に描くということにつきます。個人では比較的容易に思えることでも、組織として一人ひとりの担当者までが自分の仕事の中でゴールイメージを具体的に描くことは、従来あまり行われてこなかったことでもあり、容易に実行できることでもありません。
だからこそ、マネジメントとしてゴールイメージを適切に描くことができるような仕掛けが必要なのです。
作成・編集:経営支援チーム(2023年7月20日)