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2023年夏の3冊(3)~「星新一の思想」

2023年夏の3冊(3)~「星新一の思想」

 

3冊目に採り上げるのは、「星新一の思想~予見・冷笑・賢慮のひと」(浅羽通明著、2021年筑摩書房刊)です。

 この本は、「星読ゼミナール」という星新一(注6)の作品の読書会を主宰している著者が、その読書会での議論や先行する評伝なども踏まえて、作品論(の一部)を取りまとめたものです。星新一の作品数は1000篇を超えるそうですが、本書で扱っているのはその4分の1ほどだそうです。

 

 始めに、コロナ禍を入り口に星新一のショートショートの作品を通じて、ディストピアとユートピアが描かれているかのような世界を考察します。そのなかで、人生や世界のありかた、特に秘密・偽装・スパイといった反転する世界や人生に触れる作品を論じます。また、ロボットやエイリアンを描くことで人間や人格、特にアスペルガー症候群から作品を読み解こうとする試みを見せます。

 後半(第5章以降)は、星新一の作品を巡る文学論と言えるかもしれません。SFショートショートではない長編作品の「人民は弱し 官吏は強し」を含めてみると、星新一作品の特徴である感情や心理の描写の欠如、その結果として出現する主人公への読者の感情移入・自己投影の困難さ、といった特徴が語られます。そして、SF(空想科学小説)にしては空想というほど現代の現実から遊離している設定もあまり多くはなく、科学もさほど重視されているようには思われないことなどから、民話から神話、更に寓話といったジャンルこそ、星新一の作品にはふさわしいのではないかと考察を進めています。

 同時に、プロの作家としての星新一についても1章を設けて言及すること(第7章)を忘れていません。本書は作品論から新人発掘の話まで紹介しているので、星が作家という職業をどのように考えていたのかも様々なエピソードを通じて知ることができます。

 

 個人的には筆者も小中学生の頃に星新一の作品を読んでいたはずです。とはいえ、ショートショートを何冊か購入していただろうというだけで、具体的な作品名を挙げるとなると、昔のことであり過ぎて、思い出そうにも何も出てきません。もしかすると50年近く読んでいない作家ではないかと思います。

 中学生くらいから、より長い作品、横溝正史や高木彬光の長編推理小説であったり、同じコナンドイルでもシャーロック・ホームズだけでなく「ロスト・ワールド」などに興味が移ってしまいました。ちなみに、筒井康隆や眉村卓などのショートショートは高校生の頃までは読んでいたのではないかと思いますし、国内外の短編小説もそれなりに読んでいました。特に、村上春樹の初期の短編集や新井素子(星新一が自ら見出した独自の文体をもつ作家)には大学の頃に嵌まっていた気がします。

 振り返ってみると、星新一を入り口にショートショートの楽しみを覚えたおかげで、短編から長編へと小説全般に興味が広がっていった半面、星新一に立ち戻る機会をなかなか持てなかったことは多少なりとも残念に感じます。

 コロナ禍が始まった2020年の頃、感染症による人類の危機を予見した作品として「復活の日」を挙げる人が多くいました。作者の小松左京は、「日本沈没」もそうですが、作品が書かれた時代の最先端の科学的知見に基づき、自らの洞察も織り込んで、SFとして長編小説を生み出すところに持ち味があります。「復活の日」で言えば、急速に感染が広がるのに航空機のネットワークに着目するなどディテールまでしっかりと描かれていることで、絵空事でないアクチュアリティ(実際に起こったことであるかのようなリアリティ)を表現しています。

 星新一の作品には、そういう意味でのアクチュアリティはありません。そもそも、短編小説よりも短いショートショートでは科学的知見を積み上げていく表現手法は採れないでしょう。

しかし、描かれる社会や独特の語り口(本書でも口承文芸としての言及があります)で星新一の作品世界が出来上がっており、その世界からどのようなメッセージを読み解くのかは読者に委ねられています。まるで、江戸時代の人々や生活に基づく古典落語を現代の人々が聞いて楽しみながら、人間の生き方や生活ぶりに共通するものを感じるように、星新一のショートショートは未来の人々も私たちと同様に娯楽として楽しんだり、作品のもつ現代的な意味を解読したりするのにも適したテキストとなるでしょう。

 本書はその際のガイドブックでもあり、星新一の作品世界への案内書でもあります。帯にある惹句‐それは人類への贈り物~さあ、「ボッコちゃん」から読み直そう。‐にあるように、改めて星新一の諸作品に向き合ってみるべき時期に私たちは差し掛かっているのかもしれません。

 

【注6

作家星新一の略歴や作品の詳細は、以下の公式サイトを参照してください。

星新一公式サイト (hoshishinichi.com)

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2023914日更新)