中小企業における人への投資(2)~投資と経費~
一般に、機械設備であろうと、ソフトウエアやITシステムであろうと、ブランドや特許などの無形資産であろうと、事業に供する資産は活用すればするほど、その価値が減少します。その原因として、単純な経年劣化もあれば技術革新や市場の変化に適応できないといった外部環境とのずれもあるでしょう。
いずれにせよ減少した価値は、経理上は減価償却という形で処理することになります。最終的には、別の機械設備に切り替えたり、新たなソフトウエアやITシステムを導入したり、ブランドや特許を更新したりすることになるでしょう。そのための新たな投資が必要となることもあります。
ときには、当初見込んだ時間ほど価値が続かずに、早期に減損処理という形で事業に活用するはずであった資産をなかったことにする場合もあるかもしれません。当初の予定通り事業に活用し続ける資産であっても、機械設備やITシステムではメンテナンスという形で維持管理に追加のコストをかけることもあります。
こうしたことは、人的資本についても同様です。人的資本も、事業に活用すればするほど、その価値が減少するものと思って対処すべきです。仕事ばかりに明け暮れていると、いつの間にか世の中の動きについていけなくなっている人は、どの業界でもどの職種においても見られます。
もともと能力がなかったり仕事への意欲が低かったりするのであれば、人的資本とは呼ばれません。昔は優秀だった人、当時は人的資本と呼びうる価値のあった人が、一定の時間が経つにつれて改めて見てみると、支払っている給料ほどの価値がない人になってしまっているわけです。
もっとひどいのは、その人が組織に存在するだけで仕事の邪魔になっているケースです。もちろん、本人にはその自覚はないでしょう。薄々気が付いていることはあるかもしれませんが、自分の存在価値を全面的に否定されてうれしい人はいないはずです。もし、それが中小企業の経営者自身であったとしたら、企業の存続に関わる問題です。
肝要なのは、そうならないように人的資本の価値を絶えず高めるように必要なコストをかけ続けることです。つまり、人的資本にはまず、メンテナンスコストをかけることが必須で、人的資本への投資(インベストメント)は別の課題であることを理解しなければなりません。
これは、機械設備で考えてみれば当然のことです。現事業で使っている機械設備を定期的に洗浄したり不具合の出た部品を交換したりするのに修繕費をかけます。一方、現事業の生産能力を大きく増強したり新たな事業をスタートするのに別の機械設備を導入したりするのが設備投資です。このふたつは別物です。
人的資本でも、修繕費的なものと設備投資に相当するものを分けて考える習慣をつけなければなりません。経営者を含めて現在いる社員の能力を維持・向上させるのは、いわば修繕費です。つまり、一般的な教育訓練のコストは人的資本の修繕費と捉えることができます。
それに対して人への投資とは、中長期的な視野に立って、黒字の事業であってもリストラを進めるとか既存事業から撤退する、もしくは新たな事業分野に進出するために人材を採用したりするとか別の企業を買収したりすることです。決して、現事業を伸ばしたり改善したりするために人員を多少増やしたりリスキリングを行ったりすることではありません。
さて、従業員については、人への投資の要点ははっきりしているものと思われます。「TIME TALENT ENERGY – 組織の生産性を最大化するマネジメント」の共著者であるエリック・ガートンは、数年前の論考(注6)で次のように人的資本への投資を簡潔に表現しています。
最も直接的かつ明快な投資は賃上げだ。他には、教育やトレーニング、健康支援の強化などが含まれる。さほど目立たない投資方法として、新しいアイデアや専門能力向上の機会を模索する時間と場所の提供なども挙げられる。
中小企業にとって一般の従業員を対象とする人的資本への投資の最初の一歩は、大企業を上回るか少なくとも同等レベルの給与水準を実現することでしょう。次に、能力開発や健康経営などの機会を保証し、職場でのチャレンジや資格取得のなどを奨励することが求められるのです。現在は、これらに加えてリモートワークや育児サポートなどの職場環境整備も投資の対象として挙げられるかもしれません。
中小企業は従業員数が少ないが故に、その一人ひとりのもつインパクトを決して無視できません。特に100人以下の組織では、一人のもつ意味は極めて大きいのです。経営者やオーナーと同様に、従業員への投資がインパクトをもつことを忘れてはなりません。人的資本経営は中小企業こそ強く意識して取り組むべきテーマなのです。
そこで、中小企業において人的資本の最も中核となるものは何かというと、まずは経営者やオーナーです。経営者やオーナーが自分の知識・経験・スキルなどをメンテナンスしていることが最低限の条件(修繕費的なもの)です。できうれば、一定の時間や資金や(社外を含めた)人材などを投じて、次につながる投資(設備投資の相当するもの)も行うのが理想です。
まず、経営者やオーナーが人的資本として自分自身のメンテナンスを行っているかどうかを自問自答してみましょう。
人手不足で新たな従業員を雇いたくても雇えないとぼやいていませんか。そう愚痴をこぼしながら、募集する給与は最低賃金レベルということはないでしょうか。若しくは、人手不足だから誰でもいいから雇う、という発想に縛られていませんか。
人を雇うのであれば、中小企業は大企業よりは労働条件が悪い点が目立つでしょうから、せめて給料くらいは高く見せないと話にならないのです。給料以外の労働条件で大企業に勝てる要素がないのが多くの中小企業の実情であるとすれば、払うべきものを従業員に適切に支払うようにしなければなりません。
中小企業、特にベンチャーによく見られるように、社会的な課題を解決するとかミッションやビジョンを語るといったもので人を引き付けようとするのは、はっきりとした限界があることを経営者が自覚しておかなければならなりません。その限界を知った上でもなお、資金がないために一定レベル以上の処遇が実現できないというのであれば、もともとの資金調達に問題があるかビジネスプランが破綻していたのか、いずれにしても実現不可能なことをやろうとするのは無駄です。
中小企業ほど、経営者やオーナーが人的資本についての知識やスキルをメンテナンスしておかなければ、人手不足の解消もできず、いつになってもまともな経営ができません。
一方、次につながる投資(設備投資の相当するもの)は、人材採用や他社の買収に限りません。例えば、年に1回(2年に1回でもよいが)、1か月程度、一切、出社せず、誰か別の人を代行者として立てて、経営者としての仕事を一時的に任せるといった方法もあります。その間、経営者自身は、長期の休暇を取って健康面も含めて自身のメンテナンスを行うか、一種のサバティカルリーブ(研究休暇)を取って普段の仕事ではできない分野や興味のあるテーマについて集中的に学ぶ機会を作ることになるでしょう。こうした行為自体がひとつの投資的な活動です。
一方、他の従業員、特に代行者として指名された人は、一時的とはいえ経営者の仕事を行うわけですから、事前に意思決定に一定の枠を嵌めておくことは不可欠ですが、その経験を通じての学びがないはずがありません。もしかすると失敗(意思決定のミス)もあるでしょう。そうした経験を通じて得たものをもって、再度、実務に戻れば仕事に取り組むマインドセットが変わったり、MBA取得や通信講座など社外での学習機会をもつならば、同じ講義でも内容がより実感できたりするでしょう。
このように、次につながる投資(設備投資の相当するもの)を思い切って行うことができるのも、実は中小企業のメリットかもしれません。大企業では、経営者といえども部分的な仕事を担当するだけかもしれませんし、従業員のなかから特定の個人を選んで経営者の立場に置くと、周囲の雑音がひどくてうまくいきそうにありません。もちろん、そうした雑音を抑えることができる剛腕の経営者であればよいのですが、そうした経営者人材はあまり実在しないように思われます。
【注6】
詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 2017年10月11日記事「賃金、時間、労働意欲……人的資本への投資で生産性は上がる」を参照してください。
作成・編集 人事戦略チーム(2024年3月7日)