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中小企業における人への投資(8)~投資に失敗したら~

中小企業における人への投資(8)~投資に失敗したら~

 

人への投資も企業における投資の一種である以上、成功もあれば失敗もあります。成功は、人材育成がうまくいくことでイメージしやすいのかもしれません。例えば、新入社員が1年後には一人前のスタッフとして、後輩を指導しているとか、経営者候補の選抜育成システムの中から、子会社の経営者として実績を挙げた人が本社の役員としてグループ全体の経営に当たるとか、それなりに理解できそうです。

一方、失敗は必ずしも明確に共通の認識をもつことができるわけではないでしょう。採用した新入社員が1ヶ月も経たずに大半が退職したというのは、採用という投資活動の失敗に思われますが、残った者の中から次世代の経営幹部が現れたとすれば、成功かもしれません。また、いわゆるアップ・オア・アウトの慣行が出来上がっている職場では、遅かれ早かれ大半が退職するのは当然ですから、1ヶ月という期間は短いかもしれませんが、必ずしも失敗とは言いきれないところがあります。

財務上の投資であれば、投資した事業の成否で判断することになります。投資に対する収益とか、想定していた事業規模に達するかどうか(成長規模やスピード)といった基準で事業の成否を問うことができるからです。同様に人への投資も、その失敗について判断するための基準や失敗の定義が必要です。

投資はしたが結果が出なかったので失敗という前に、人に投資する際に求める結果とは何かをまず決めておかなければなりません。ここで結果というのは、投資対象たる個々の社員が犯す個別の失敗事象(事業が立ち上がらない、製品・サービスの開発が予定通り進まないなど)のことは当然なのですが、それだけに留まらず、そこから学ぶことができない人を採用したとか、失敗を反省はしても次に修正できないことなどが、人への投資における失敗と認識すべきではないでしょうか。

つまり、人への投資の成否を判断する基準は、直接の仕事の結果であるとともに、そこから何を学ぶか、仕事の結果や結果を出すまでのプロセスにおいて次の仕事に活かすことができるものに気が付くことがあったか、そして、それらを組織的に学ぶことができるように広く伝えることがあったかどうかなのです。

 

次に、人への投資の失敗の態様をいくつか挙げてみます。

まず、採用自体の間違いがあります。そもそも、経歴だけを見て仕事に不適格な人を採用したとか、人手不足から採用の基準を下げてしまい、成長マインドにかける人を入社させてしまったといったケースです。

また、人材育成(スキルを身につけさせるなど)がうまくいかなかった、要求するレベルを明示していないために期待し要求するスキルレベルに到達していないまま現場に出してしまった、マネージャーが適切な業績評価を行わないため本人も自らのスキル不足に気が付かないなど、スキルの習得や評価に関する失敗もよくあります。

教育研修において典型的なのは、「プログラムを実施して終わり」になってしまい、具体的に仕事で活かされることがないとか、内容の理解度や受講者の満足度を測定するのはいいが、その数値目標の達成度が投資の評価指標であるために、仕事の現場、特に職場で習得したことが活用できているかとか顧客から支持されているかといった観点からは評価が上がることがない場合です。

更に、配置や異動の失敗もあります。本人が職場に適合ができない、職場(上司、同僚、部下)がその人を受け入れない、本人が希望した職務であっても仕事に向かない(本人の能力や適性とのミスマッチなど)など、客観的に見れば人材の無駄使いとなっているケースも見られます。

優秀な人材を引き付けておくのに最もチャレンジングなことは、その人が興味を示すような(わくわくするよう)仕事を提示し続けることだとすれば、魅力的な仕事を次々に与えることができないことも失敗と言わざるを得ません。原理的に不可能なことではないとしても、経営資源の制約や事業分野の狭さなどから中小企業では挑戦すべき仕事やチャレンジすべき課題をタイミングよく提示することは難しいでしょう。

そして、究極の失敗は、そもそも失敗を失敗と本人も周囲も認識していない状況です。業績評価や能力評価がいい加減であったり、結果を本人に適切にフィードバックしていなかったり、処遇上の差異が本人にメッセージとして伝わっていなかったりすれば、失敗を知りようがありません。そして、第三者から見て明らかにおかしいというレベルを放置したまま、配置転換や退職を勧奨しないのであれば、組織的に失敗を放置しているということになります。

失敗を失敗と認めることができるというのが、失敗に関する議論の前提です。第三者が見て失敗と思うような事態に至っても失敗という言葉を使うことを拒むような体質では、組織的な成長は望めませんし、再び同じ失敗を繰り返すことが十分に予想されます。従って、失敗の放置は最大の経営ミスと考えるべきです。

こうした失敗観の転換は、中小企業では経営者が変われば実現可能なものです。経営者が率先して自らの失敗を明るく語ることが、その第一歩です。

 

改めて注意したいのですが、失敗したことが問題視されるべきではありません。問題なのは、失敗を本人も組織もしっかりと認識していないことです。人への投資も投資の一つである以上、失敗は必ずあります。そして、失敗することを前提に仕組みを作ることが重要なのです。この点、財務上の投資も同様で、暴落や急騰を含んで損失や利益確定を巡る失敗から学んできたなかから、長期分散投資などの原則や様々な数理モデルの発展の歴史があるのでしょう。

人への投資では、通常の業績評価や能力評価を本人へのフィードバックを含めて適切に行うことを大前提として、次のような方向づけが求められるのではないでしょうか。

 

・アップ・オア・アウトなどの人材流動性を実現するルールや慣行を根付かせる

・配置転換や退職勧奨など失敗を処理するルーティーンを確立する

・職場におけるさまざまな失敗の経験をその職場における資産に変える

・失敗から学習する企業文化や失敗を肯定する価値観を持つカルチャーに転換していく

・定年退職制(年齢による一律の強制的な退職)や役職定年制など成功も失敗も同じに扱う仕組みを廃止する

・退職者も人材として有効活用する慣行や仕組みを機能させる

 

 まず、アップ・オア・アウトや配置転換・退職勧奨など、社内の人材を流動化させることが原則です。失敗に限らず、一旦は成長が止まってしまった人に、次の成長の機会を与えるのも必要なのです。

 一方、組織としては、失敗は失敗と認めた上で、そこから学ぶことや再度挑戦することが当たり前という価値観をしっかりと醸成することが不可欠です。端的に言えば、本人は失敗を笑って他のメンバーに語り、周囲はそこから自分の仕事やキャリアへのヒントを見出すのが日常的に行われるのです。

このように考えてみると、定年退職は年齢によってどのような人も退職させられてしまうので、次に挑戦する機会を奪うだけでなく、定年年齢まではひどい失敗はしないようにしようという保身的なマインドを醸成しないはずがありません。いわば、失敗も成功もいっしょにしてしまう扱いです。残っている人が全て成功例であればよいのですが、そういう組織は現実にはないでしょう。

そこで、定年退職のように一律にキャリアを断念させるのではなく、自らの判断でキャリアチェンジを図る人材に転換を促す仕組みのひとつとして、アルムナイ(同窓会、退職者のネットワーク)を構成していくことが望まれます。組織を退職してもアルムナイとして何らかのつながりをもつことで、組織としては退職した人々が新たに活躍する世界とのつながりからビジネスチャンスをつかむ可能性がありますし、個人から見れば新たに学んだ経験やスキルを活かして再度、元の組織で活躍する機会が生まれるかもしれません。

そのためには、退職を本心から「卒業」と認識できることが要請されます。昇進できなかったことに心から引っ掛かりはないかどうか、本人が自らに問うことも必要ですし、組織からは見れば既に投資した人材ですから何らかの形でもう一度活躍できることがあれば、自社であろうが別の組織であろうが、活躍することで投資が結果に結びついたことに変わりはありません。

むしろ、一度は投資の失敗かと思った人材であっても、社外で活躍できれば、むしろ投資の成功と見做すべきではないでしょうか。少なくとも、自社で抱え込んで活躍する機会を与えないほうが、投資の失敗を塩漬けにする行為に他なりません。

こうしたアルムナイを機能させるのは外資系企業や大企業でよく見られますが、むしろ中小企業こそ行うべき施策です。もともと人数が少ないのですから、一度でも自社と関係ができた人を何度でも活用しようと企図するのが当然でしょう。時には、アルムナイから次に採用する人材との関係が生まれたり、採用しようとする人のレファレンスチェックで有用な情報が得られることも出てきたりもします。

 

(9)に続く 

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024416日)