初任給引き上げに伴う賃金の調整方法(8)~人件費管理との整合性を取る~
今回のコラムの最後に、初任給引き上げの経営全体への影響を考えてみましょう。前回まで述べてきたように、初任給の引き上げは、程度の差はあっても、社員全体の給与・賃金・報酬を引き上げることにつながります。実際、引き上げることをしないと、初任給以外の給与水準が社外との競争において優位性が失われるかもしれませんし、社内における衡平性も損なわれると危惧されます。
一方、初任給に限らず給与を全体的に引き上げるとなると、その分の人件費は増えます。増えた人件費に見合う分を価格に転嫁したり、人件費以外のコストを削減したりすることで利益率を維持できるのであればよいのですが、そう簡単にコストを削減できるわけにはいきません。エネルギーコストや物流費、原材料費など人件費以外のコストも増加する傾向にある以上、コスト構造を全体的に見直すことも必要です。
初任給がいかに大幅に引き上げられたとはいえ、人件費も同じように大幅に増大するというのでは、企業経営とは呼べません。少なくとも、人件費を適切に管理し、人件費のコスト構造を不断に見直していくことが要請されます。
そこで、まず人件費の内訳について考えてみましょう。
(狭義の)人件費=(財務会計上の)直接人件費+間接人件費
(広義の)人件費=(狭義の)人件費+人に関わる人件費以外の諸費用
人件費を最も狭く捉えるならば、財務会計上の直接人件費、即ち、給与、賃金、報酬、賞与、退職金、諸手当など現金で役員や従業員に直接支払われるもの、外注加工費及びストックオプションなどの株式連動型の報酬を加えたものに、法定福利費と会社が独自に行う法定外の福利厚生費を加えた間接人件費を合算したものとして捉えることができます。
ただ、組織が人に関わる費用として負担するものは他にも多々あります。例えば、教育研修費、業務委託費、事務代行に要する費用、顧問料やコンサルタント料、弁護士や会計士など専門家に支払う費用などです。通勤や在宅勤務に要する費用、交通費、社有車や契約ハイヤーなどに支払う費用など、広義の人件費はその範囲を目的に応じて定めないと、無定見に広がってしまうかもしれないほどです。
広義の人件費を適切にコントロールすることは是非ともとりくまなければなりませんが、ここでは、経営におけるインパクトが最も大きく、社員一人ひとりに直接関係する「直接人件費」に絞って考察を進めます。
さて、直接人件費は次のように分解することができます。
直接人件費=1人あたりの平均の直接人件費×対象人数
つまり、直接人件費をコントロールするということは、1人当たりの平均の人件費をコントロールするか、または対象人数をコントロールするか、という管理指標の選択の問題なのです。
1人当たりの平均の人件費をコントロールするということは、月次の給与で昇給した分は会計年度(1年間)の間で増加分を吸収しようとすることに他なりません。つまり、賞与などの毎月支払うわけではない現金給与分を削減することになります。要は、賞与の支給月数を削減するなどして、1年を通じてみると年収ではあまり増えていない状況を作るのです。ただ、このアプローチは、よほど会社の業績が悪化していないと、社員全体にネガティブな影響を及ぼすであろうことは誰にでも予想ができます。
対象人数をコントロールするというのは、文字通り、役員や社員の人数を削減することです。現実的に言えば、顧問や相談役といったものは全廃した上で、1人当たりの直接人件費が高い層から人員削減を行うことになります。社内取締役や執行役・執行役員クラスが最初の対象グループで、次に上級管理職から管理職全体、一般の社員は最後に対象とすべきでしょう。
このように階層別に行う以外にも、部門別に人員削減を行うことも考慮すべきです。稼げない(収益性の低い)部門は元より、相対的に稼ぎが少ない部門も会社分割して独立(スピンオフ)させたり他社と合併(カーブアウト)させたりすることで、結果的に収益性の低い部門(=人員)を削減するわけです。自社に残すのは、現に多くを稼ぎ出している部門や、今後の事業成長が高く望める部門に限ります。
部門別に組織や人材を再編するということは、時には業界再編にまでつながるかもしれません。同じ業界で同じような製品やサービスを提供している企業は、何社も必要ではありません。そこで、製品やサービス、時には部門単位で組織再編や企業間の人材移動を行い、相互に強い部門を確立していくのです。
中小企業においても同様です。DXが得意な会社があれば、その業界向けのDX製品を提供することに特化して、元の製品やサービスは他社に譲渡するほうが互いに利益率が向上する可能性が高くなります。ラーメン店がラーメン店向けに開発したDXサービスがあるならば、それに特化してラーメン店そのものは同業者に売却するという方法です。ラーメン店でなくても、工務店でもクリニックでも工場でも小売店でも、同じことが言えます。
給与引上げと同時に進む人員削減は既に珍しいものとは言えません(注11)。その人のもつ経済的価値を給与額という最も理解しやすい形で明らかにするには、半ば強制的に組織内外に人材流動性を引き起こすことが求められます。初任給の引き上げとそれに伴う給与調整は、多少の時間のずれはあっても、給与・人材・組織の構造的な変化を必ず招くものなのです。
【注11】
「早期・希望退職者」募集は年間1万人超ペース 空前の賃上げの裏側で加速する構造改革 | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ (tsr-net.co.jp)
作成・編集 人事戦略チーム(2024年6月12日)