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ベンチャーにおける営業を再考する(5)

ベンチャーにおける営業を再考する(5)

 

最後に紹介する営業の型はインサイト営業です。

ドラッグストアの例で言えば、高血圧の患者に対して処方された薬を出すだけでなく、血圧が高くなりがちな生活習慣や日常的にため込んでいるストレスなども分析して、それらへの対処法を指導したり生活習慣を変えるためのナッジを提案したりするものです。更に個々の患者への対処だけでなく、周辺のクリニックや地域の保健機関などとの連携から、地域の実態に即した高血圧予防の活動を提案するくらいに仕事を発展させることが望まれるのかもしれません。

もうひとつ、一般の企業に車を売るという場合を考えてみます。

定期的に一定地域の顧客(既存の顧客も潜在的な顧客も含む)を訪問して商談をつかもうとするのがルートセールス、ディーラーなどで新車や中古車を並べて顧客の訪問を待つのがプロダクト営業、顧客が抱える自動車にまつわる課題を認識した上でその課題を解決するサービスをパッケージで提案するソリューション営業であるとしましょう。それらに対して、インサイト営業では、「車を売る」という範疇を取り払い、顧客のモビリティに関するニーズの本質は何かを探求した上で、自動車による移動を自ら否定したほうがよければそうした上で、ドローンなどの代替的な移動サービスを提案したり、テレコミュニケーションのツールを提供して物理的移動がなくても同程度若しくはより上質なコミュニケーションが実現できたりすることを実証的に提案することまで、必要とされるかもしれません。

インサイト営業が注目されるようになっている理由のひとつは、営業の型として既に40年以上は経つであろうソリューション営業に限界が見えてきているからでしょう。特に近年は、顧客が自身の問題についてわかっていて解決する手段も知っているというケースが多く見られるようになり、現在では、顧客の経営者や社内関係者がすでに自社の求める解決策を把握しているのが当たり前になりつつあるからです。

 

インサイト営業では一般には、顧客の理解、業界に関する知識、顧客に対するヒアリングや事情を聞きだす傾聴力、数値とともに数値化していない事項についてもできる限り数値化して分析する能力、顧客がまだ気づいていないが今提案すべき事項に関する洞察力、顧客に新たな示唆を気づかせる対話力といったものが独自のスキルとして言及されるようです。但し、これらのスキルを表面的な意味で捉えて実行しようとすると、むしろ大きなマイナスとなる場合もあることに注意が必要です。

例えば、傾聴力です。これは、顧客に何でも訊けばいいというものではありません。オープンクエスチョンが傾聴の肝だと信じて、漠然とした質問をすればするほど、顧客は「この人は何を訊きたいのだろう」と訝しんだり、相手によっては忙しい中、時間を作ったにもかかわらず、無駄足だったと憮然としたりするかもしれません。顧客に尋ねるには、最低限、認識しているであろう課題やその解決策について、こちらの仮説をぶつけてみるくらいの準備が必要です。

また、時には顧客から無駄話をしてもらうことで話しやすい関係性を構築するほうがいい場合もあるかもしれません。そのためには、「顧客には目立った課題などない」とか「うまくいっているのだから特に改めるべきところなどないはず」と正反対の声をかけるのも一案です。営業担当なのに何も売り込もうとしないかのように見えますから、相手もつい余計なことまで話してしまうこともあるのです。

営業担当が顧客と会話をするトークそのものにインサイト(洞察)が必要な時代ですから、異なる営業先であれば異なるアプローチをとるのが当然で、その手間を惜しんではなりません。絶えず、仮説と検証を短いサイクルで回しながら顧客との対話に臨むのです。

相手と話しているのであれば、対面であろうとリモートであろうと、秒単位で仮説と検証のサイクルを回すことが必須です。多分、トレーニングやマニュアルで意識的に行うレベルでは現実的な実行が難しく、顧客のキーパーソン相手に無意識に行うのでないと相手も中身のある話を進めてはくれないでしょう。このサイクルを言い換えれば、営業担当が顧客に対して、仕事上必要だから付き合うのではなく、個人的な興味・関心をもっているから話したいという好奇心に突き動かされていることに、他なりません。

要するに、傾聴力とは言いながら、ただ訊いているのではなく、こちらから顧客に課題や解決策を仮説としてぶつけていくことが求められるのです。そして、用いる言葉も、できるだけ顧客が理解しやすい言葉を遣うことが肝要です。相手がピンとくる話でなければ、インサイトへのヒントとなる情報は得られません。

また、数値化にも要注意です。そもそも、どういう経緯で収集された数値であるかによって、数値の持つ意味が変わりかねません。例えば、従業員満足度を測定したとして、どのような質問文や選択肢なのかによって、回答が変わることがあることを前提に結果の数値を読まなければなりません。特に、経年変化を見る場合には、アンケートの様式や文章の変化を知った上で数値を解釈することが不可欠です。

数値からインサイトを得る際に気を付けなければならないことのひとつに、{数値化≠客観化}の図式があります。数値化されているだけで、いかにも課題を客観的に見ることができるように思い込みがちですが、世論調査の結果が例示するように、調査のやり方によって結果が変わったり、そもそも数値を測定する器材に測定誤差や故障などの問題があったりするなど、出てきた数字を鵜吞みにしてはいけないケースは多々あります。

そして、相関関係の錯誤もあります。異なる二つ以上の数値があるときに、そのなかの二つの数値の間に、何らかの相関関係が見出されることがあります。すると、その二つの数値の間に原因と結果とか打ち手と効果といった関連性が示されていると思い込みがちです。しかし、ちょっと考えれば、無関係な数値の間で相関係数が高い場合など、いくらでもあり得ることに気づくはずです。相関関係のある数値があるからと言って、頭から信じて理屈抜きに「これでうまくいきます」と提案するのは是非とも避けたいものです。

 

ソリューション営業にもありますが、インサイト営業では社内の稟議を通せるように、一緒に上司や経営層を説得する理論武装や落としどころを考え出すことも望まれます。インサイト営業では顧客が気づいていない課題にアプローチすることが多いので、提案内容も顧客が見聞きしたことがないものと思いがちです。もちろん、そういうケースもありますが、すべてがそうというわけではありません。

インサイト=大胆な発想&斬新な企画、というわけではなく、地味でも顧客にとって盲点となっていたところを突けば、結果は自ずとついてくるものです。また、顧客自身がわかっていても手を付けることができない課題、例えばオーナー会社の事業承継問題とか、過去には大成功を収めたことはあっても今は時代遅れとなっている製品を打ち切って、既存の技術を新たな製品やサービスに転用する方向に事業を切り替えるなど、これらをどのように社内を説得して進めるのかという時こそ、インサイト営業の出番でしょう。時には社内で隠れて進めて、ある程度まで成算が見込めるところで公表することもあります。その際に黒子となって働くのがインサイト営業です。

従って、結果として顧客の取扱高が上がったり成約率が向上したりすることはあっても、インサイト営業の目的は顧客とともに課題を特定して解決に向けて取り組むことですから、時には自社の営業実績にならないことや営業成績を落とすことでも提案しなければならない状況もあり得ます。この顧客には自社で提供するフルサービスのITシステムよりも他社のより小規模で低価格なITパッケージのほうが使いやすくていいだろうとか、試験的な運用には小規模なほうが向いていると思えば、自社の売上につながらなくてもそれを提案することも必要なのです。

当面の営業活動の結果が顧客にとってうまくいくことにつながるかどうかが重要です。その上で、より長期的な関係を構築して、いわばITの購買代理人のような位置づけを得ることが望ましいでしょう。そういうインサイトをもって営業に当たることが求められるのです。

ちなみに、インサイト(洞察力)のある人というのは、ほとんど「ないものねだり」です。そういう人材を求めているようでは、ほぼ見つけることはできないでしょうし、採用プロセスだけでインサイトの程度を判別することは容易ではありません。実際に仕事をしてみて、その人がどの程度の考え方、つまりインサイトを生み出す力があるのかどうか、初めて気がつくことでしょう。

インサイトをもって営業に望むには、個人の能力やスキルに依存するのではなく、組織としてのカルチャーやスキルなど目に見えない環境による部分が大きいように思われます。

伝統的な営業組織のカルチャーでは、インサイトを奨励するのは最も難しいチャレンジかもしれません。特に、理屈より行動、論理より結果、というようなカルチャーでは、顧客の観察・適切な数値化・仮説と検証・顧客の言葉で伝えることといったことは、あまり実践されてこなかったはずです。そこで、インサイト営業をいきなり実践するように命じられても、スタッフのスキルやマインドセット以上に組織のソフトスキルがついていけないと十分に予想されます。

組織としてのIT 環境や活発なコミュニケーションが可能となる物理的な環境も無視できませんし、インサイト営業の人員規模も大きすぎず小さすぎないサイズ感も重要です。ただ、それ以上に組織の持つカルチャーや個人の行動様式のほうが、インサイト営業に適したものに切り替えることが難しいでしょう。

インサイト営業では、短期的なインセンティブ、特に現金支給によるインセンティブは不向きです。既に述べたように、短期的には自社の売上に資するわけではない事態が起きることもある上に、顧客の課題認識からスタートするとなると、自社の売上につながるまでに相当の期間がかかる可能性も高いため、短期的な業績評価やインセンティブの支給には適さないのです。こうした観点からも、伝統的な営業組織とは一線を画して、別の組織系統でインサイト営業を機能させるべきでしょう。

 

ベンチャーにとってのインサイト営業は最も取り組みにくいものかもしれません。自社の製品やサービスを開発するのに手一杯の状況で、課題を洗い出す営業担当を顧客に張り付ける余裕などないのが普通です。

とは言え、技術やプロダクトはあっても活用方法や事業としての仕組みに欠けるのがベンチャー、特にスタートアップです。第一号となる顧客に起業家自ら張り付いて、顧客の実情を調べ上げた上で自社の技術やプロダクトを課題解決に役立てることが可能かどうか、徹底的に試してみる価値はあります。その経験から、もしかするとインサイト営業のプロトタイプが生まれるのかもしれません。

 

(6)に続

 

 作成・編集:経営支援チーム(2024731日)