2024年夏の3冊(1)~「めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座」

2024年夏の3冊(1)~「めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座」

 

 今年の夏もまた猛暑となり、エアコンの効いた部屋で読書をしたくても、なかなか頭に入ってきません。そうした状況でもなんとか読みやすい本を思い手に取ったのが、『めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座』『見るレッスン 映画史特別講義』『重力のからくり 相対論と量子論はなぜ「相容れない」のか』の3冊です。

 そのなかで今回は「めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座」(山田五郎著、2024年刊、ダイヤモンド社)を紹介します。もともとYouTubeの「山田五郎チャンネル オトナの教養講座」(注1)で採り上げられてきた絵画及び画家のうち、印象派及びその前後で印象派に大きな影響を及ぼしていたものについて、登場する画家たちの人物相関や活躍した時代の年表などを付して、内容を改めて整理しながら、山田五郎氏ならではの語り口で印象派を解説しています。

 

1部「印象派が生まれるまで」では、印象派の先駆と言えそうな5人の画家について紹介します。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ノラム城、日の出」

印象派にとってのビートルズと山田五郎氏が評するイギリスの画家ターナー。作者や描かれた場所や年代を知らなければ、まさに印象派の作品と思わざるを得ない作品です。また、産業革命が絵画に及ぼした影響の一端にも言及します。

 

ジャン=フランソワ・ミレー「落穂拾い」

日本でも知名度が極めて高い作品について、政治と芸術(絵画)作品との関連が語られます。この作品に描かれているのは社会のありようそのものですが、描いているミレーは農民を描くことに満足していたわけではないことも紹介されます。絵画や画家の価値がフランス革命の時代趨勢とともに大きく変化する代表例です。

技術的には、筆触分割という印象派を特徴づける技法の走りとしてミレーを位置づけています。

 

ギュスターヴ・クールベ「画家のアトリエ」

ミレー以上に政治と芸術との関連を考えさせられるのが、クールベです。作家自身は変わらず、同じテーマを同じように描くのに、一方は絶賛されてサロンに入選し、もう一方は批判の的になります。移り変わっているのは、政治状況であって画家ではないのですが、それを逆手にとって個展を初めて行うなど、リアリズムを追求して活躍するクールベについて語られます。

 

エドゥアール・マネ「草上の昼食」「読書(講義)」

マネが古典的な絵画を引用して、古典派に挑戦する「草上の昼食」について読み解いた上で、個人的な事情や家庭環境を窺わせる作品として「読書(講義)」も解説します。画家たちとの人間関係では、ベルト・モリゾとの関係などにも言及します。

 

ウジェーヌ・ブーダン「ドーヴィルの海水浴」

19世紀後半の海水浴がどのようなものであったか理解できる作品です。海水浴といいながら、空が画面の大半を占めるところに、この画家の持ち味があります。風景画であり、集団の人物画でもあります。

 

ここまでで印象派直前で印象派につながる作品や画家を紹介しました。第2部「印象派の始まりと終わり」では印象派を代表する9人の画家とその作品を解説します。

 

ジャン・フレデリック・バジール「バジールのアトリエ」

印象派を経済的に支援し人間関係の面でも支えていたのが、バジールという若くして戦死した画家であったことを初めて知りました。クールベの「画家のアトリエ」とはまた趣向が異なり、印象派の画家たちやその絵画を紹介する作品でもあります。

 

クロード・モネ「印象、日の出」「散歩、日傘をさす女」

印象派の代表作を一つに絞るならば「印象、日の出」に尽きます。この作品を含む第1回印象派展についてルイ・ルロワが新聞に載せた批評から印象派という呼称が一般化するというのが通説ですが、その記事の原文を探し出してフランス語の辞書を片手に読んだ上で、この記事に従って印象派の作品をざっと紹介していきます(159171ページ)。

また、「散歩、日傘をさす女」の顔の描き方やモネの人生を知った上で「睡蓮」の連作を見ると、浮世絵に影響を受けた風景画とはまた違った見方が成り立ちます。それが、睡蓮という仏教的な存在を描き続けることは写経に相当する行為という解釈なのです。

 

ピエール・オーギュスト・ルノワール

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

モネが筆触分割で風景を描くのに対して、ルノワールは人物を筆触分割で描くことに挑戦しました。その代表作が「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。しかし、この挑戦は不評続きで、ルノワールは筆触分割から古典的な手法に回帰して、人物画を描き続けます。その代表作が「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」です。

個人的には、この絵画の複製画が掛かっていた喫茶店に子供の頃から出入りしていましたから、この絵のモデルとなっている少女の人生やこの作品のその後が語られるのも、実に興味深く読みました。

 

アルフレッド・シスレー「ポール=マルリの洪水」

人生では特筆すべきことはあまりなく、生前はほぼ売れなかったシスレーですが、バジールとともにモネやルノワールを経済的に支えていました。その風景画はまさに「光の魔術師」と呼ぶにふさわしい作品です。

 

カミーユ・ピサロ「モンマルトル大通り、冬の朝」

印象派のなかでは明らかに年長者で、ドガを中心とするグループ、モネ・ルノワールを中心とするグループ、セザンヌを中心とするグループなどの間を取り持っていた存在がピサロです。

描く技術を次々と採り入れて、自らの画風が変わっていきます。筆触分割も点描も、風景画も人物画も、挑戦します。最後は代表作をホテルの一室から同じ構図で連作します。

 

エドガー・ドガ「エトワール」「14歳の踊り子」

印象派とはいえ、屋外で風景画を描くことがなく、室内で人物画ばかりを描くのがドガです。多くは女性を描くものですが、正面から顔を描くことがなく、ポージングをしている背中や足ばかりを描きます。現代なら、女性恐怖症のオタク的な存在と言われそうです。

年老いてからは立体的な踊り子(14歳)の像(蜜蝋またはブロンズ)を制作するエピソードも紹介します。

 

メアリー・カサット「青い肘掛け椅子に座る少女」

アメリカ出身の女性画家で、子供をかわいらしく描くことで独自の絵画を生み出します。どんなにひどい言葉を投げつけられても、ドガと終生、関係を保つという点でも、特筆すべき存在と言えます。

 

ベルト・モリゾ「ブージヴァルのウジェーヌ・マネと娘」

エドワール・マネに師事しようとするも断られる(エヴァ・ゴンザレスは師事できた)が、ウジェーヌ・マネ(エドワール・マネの弟)と結婚し、全8回の印象派展をほぼ全回(第4回は出産のために不参加)した画家が、夫と娘を描いた代表作を解説します。

作品で描かれている娘のジュリー・マネは、16歳までに両親が亡くなってしまいますが、その後はルノワール、ドガ、詩人のマラルメなどが親代わりとなって育てたほど、芸術家のサロンで育っていったそうです。

 

ギュスターヴ・カイユボット「床削り」

バジールとともに、印象派を経済的に支えた画家です。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」も購入しました。

代表作の「床削り」にみられるように、描き方は古典的でも、題材は労働者を扱い、ミレーやクールベに連なるところがあります。

 

ここまでで印象派の画家たちとその代表的な作品は終わり、第3部「印象派は終わってからも新しい」で、ポスト印象主義の作家たちとして4人の画家を採り上げます。

 

ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

感覚で描く筆触分割に対して、科学的な色彩混合を実現するのが点描です。その点描と言えば、この作品です。この絵は特にそうですが、点描という手法でなぜ動きが感じられなくなってしまうのか、解説があります。

 

ポール・セザンヌ「石膏のキューピッド像のある静物」

写真の登場により写実では生き残ることが難しくなった絵画に、絵画独自の価値を見出す時代がポスト印象主義です。ポール・セザンヌは、写実の絵画が下手だったからこそ、写真とは違う絵画独自の価値を作品として描くことができた経緯を説きます。

セザンヌを評する山田五郎語録「天才は天然に勝てない」(411ページ)が登場し、ピカソにとって、セザンヌとアンリ・ルソーとアフリカ彫刻はまさにピカソほどの天才でも描くことができない天然の領域であることが理解できます。

 

ポール・ゴーガン

「説教の後の幻影」

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

フランス国内でも居住地をたびたび変え、タヒチにも二度渡り、そこでも居住地を変えるなど、ゴーガンは放浪の画家です。もともとペルーで育ち、若いうちに船乗りとして世界一周を経験し、株式仲買人として成功しながら、画家としては売れずに生活が苦しくなるなど、社会的にも人間関係上も安定とか定着とは無縁の生き方が語られます。そこから、これらの代表的な作品が生まれます。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」「耳に包帯を巻いた自画像」

ゴッホほど、その時々の精神状況が作品に表出している画家というのも珍しいことが理解できます。「ひまわり」がいくつも描かれた理由、「耳に包帯を巻いた自画像」から窺えるゴーガンとの関係、ゴッホの死にまつわる推測なども紹介します。

 

 以上で本書の概要紹介を終わり、本書が読みやすいと感じられる理由をいくつか挙げたいと思います。

もともと山田五郎氏本人が美術に関して素養がある上にYouTubeチャンネルで語るまでの準備が入念で、毎回のテーマに合わせて文献調査などを行い、しっかりと理解した上で自分の言葉で語っていることがあります。この点は自ら語っているところでもあります(注2)。

YouTubeで語っている言葉を活かすように対談形式で展開することも、読みやすさにつながっています。もちろん、それぞれの画家に関するエピソードが豊富なので飽きさせることがない上に、描き方や絵画の手法についても過不足なく言及しているため、なぜこうした絵画が成立してきたのか、素人でも理解できるようになります。

YouTubeから再構成されたが故に、印象派という西洋絵画の位置づけや意味合いを知ることができるともに、その後のトレンド(ポスト印象主義、フォービズム・キュビズム・表現主義など)が出現してきた理由も、少しは理解できたかもしれません。

西洋絵画は、もともと宗教画として確立し、後に写実としての絵画として肖像画が描かれるようになりました。写実のための絵画技法が完成してきたところに、政治的・社会的にも科学技術上も革命が進み始め、画家も描き方や顧客(注文主)の変化に対応していく必要に迫られる中で、印象派が生まれて終わっていったことがわかります。同様の変遷は、宮廷や教会を出て市民社会へと広がっていった音楽の世界でも起こっていたのではないかと思われます。

そして、扱われている画家だけでなく、言及される作品についても1ページに1図版かと思うくらい豊富に紹介されるので、美術館や絵画のデータベースにアクセスしなくても様々な作品を即座に観ることができます。これも本書の大きな利点であり、読みやすさ・理解しやすさにつながります。

本書で言及されているように、それぞれの画家には個人的な欠点も多いでしょう。それらを単に面白おかしいエピソードとして紹介するのではなく、それらの欠点を画家のもつ特徴を形成するものとして評価し、現代であれば社会的に抹殺されそうなものでも、読者に理解してほしいという感情が伝わってくる点も見逃せません。特に、マネ、クールベ、モネ、ドガ、ゴッホについては、これだけ困った点がある人だからこそ、ここだけは認めてあげて欲しいというポイントがあるように思われます。

 本書の問題点を一つ挙げるとすれば、脚注の文字があまりに小さいことでしょうか。これであれば、脚注だけ取りまとめたページを最後につけるほうが、まだ読みやすいのではないでしょうか。

 

 さて、本書は、美術の教科書に指定すべきとまでは言いませんが、副読本くらいには指定してほしい本です。

美術や音楽などは創作実習が多かった記憶がありますが、国語では創作実習よりも詩や小説を読んで理解し鑑賞するほうが多かったはずで、音楽でもクラシックを鑑賞する時間はありました。しかし、美術では作品鑑賞の時間などなかったように思います。せめて、こうした本を参考に、絵画や彫刻を鑑賞したり、美術館に実際に行って鑑賞したりするような学習方法があってもよいのではないかと思わずにはいられません。

美術に限りませんが、音楽でも国語でも何も知らないのでは、鑑賞も制作もできないのが当たり前です。「自分で感じるままに見る・作る」というのは、よほどの天才か山田五郎流の表現を借りれば「天然」でなければ強みとして実行することはできません。

技法にせよ制作過程にせよ、制作者を取り巻く人間関係や社会状況にせよ、幅広く知っているからこそ自分の制作や鑑賞を少しでも深めることができるのです。そして、知っているからこそ、知らないことの強みが理解できるのであって、何も知らないままでは強みも何もありません。

著者自身がもともと編集者であったからか、読者やYouTube視聴者の存在を意識して内容を作り上げています。こうしたアプローチでなければ、大人も子供も興味を持つような教科書や参考書を生み出すことは難しいでしょう。本書を読んで、そうした思いを強くもった次第です。

 

付記 昨日、YouTube「山田五郎 オトナの教養講座」にて本書の訂正が出ました(注3)。これだけの情報を集めて解説する以上、こうした訂正は避けられないかもしれませんが、学者が学説を主張する場合とは違って、すぐに訂正を公表できるのも本書の強みのひとつかもしれません。

 

(2)に続く

 

【注2

 

【注3

山田五郎からの謝罪と訂正 (youtube.com)

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2024817日更新)