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2024年夏の3冊(2)~「見るレッスン 映画史特別講義」

2024年夏の3冊(2)~「見るレッスン 映画史特別講義」

 

次に採り上げるのは、「見るレッスン 映画史特別講義」(蓮實重彦著、2020年光文社新書)です。この本は、著者が長年携わってきた映画批評の実践からかいつまんで映画史を語るものです。

筆者は、著者の蓮實重彦氏の著作で若いころに挫折を経験させられた者の1人です。その挫折というのは、当時、映画鑑賞を趣味としている人たち、特に学生などの間で注目されていた批評家であった蓮實氏が著した「表層批評宣言」を理解する以前に、読み通すことすらできなかったことです。

その冒頭部分を以下に引用します。

 

 たとえば、「批評」をめぐって書きつがれようとしながらいまだ言葉たることができず、ほの暗く湿った欲望としての自分をもてあましていただけのものが、その環境としてある湿原一帯にみなぎる前言語的地熱の高揚を共有しつつようやくおのれを外気にさらす覚悟をきめ、すでに書かれてしまったおびただしい数の言葉たちが境を接しあって揺れている「文字」と呼ばれる圏域に自分をまぎれこまそうと決意する瞬間、あらかじめ捏造されてあるあてがいぶちの疑問符がいくつもわれがちに立ち騒いでその行く手をはばみ、そればかりか、いままさに言葉たろうとしているもののまだ乾ききってもいない表層に重くまつわりついて垂れさがってしまうので、だから声として響く以前に人目に触れる契機を奪われてしまうその生まれたての言葉たちは、つい先刻まで、自分が言葉とは無縁の領域に住まっていたという事態を途方もない虚構として忘却し、すでに醜く乾涸びたおのれの姿をもはや郷愁すら宿ってはいない視線で撫でてみるのがせいぜいなのだが、そんなできごとが何の驚きもなく反復されているいま、言葉たるために耐えねばならぬ屈辱的な試練の嘆かわしい蔓延ぶりにもかかわらず、なお「批評」をめぐって書きつがれる言葉でありたいと願う湿った欲望を欲望たらしめているものが、言葉そのものの孕む不条理な夢の磁力といったものであり、しかも、その夢の目指すところのものが、言葉自身による「批評」の廃棄というか、「批評」からそれが批評たりうる条件をことごとく奪いつくすことで「批評」を抹殺し、無効とされた「批評」が自分自身を支えきれずに崩壊しようとするとき、かりに一瞬であるにせよ、どことも知れぬ暗闇の一劃に、人があっさり「文字」とよんでしまいながら究めたこともないものの限界、つまりはその境界線を投影し、かくして「批評」の消滅と「文学」の瞬間的な自己顕示とが同時的に進行すべく言葉を鍛えておきたいという書く(・・)こと(・・)の背理の確認であるとすれば、誰しも、おのれ自身の言葉の幾重にも奪われているさまに改めて目覚め、書き(・・)、そして読む(・・)こと(・・)の不条理に意気阻喪するものもまた当然といわねばならぬ。(「表層批評宣言」蓮實重彦著、ちくま文庫版、1985年刊、所収『言葉の夢と「批評」』1112ページより)

 

この文章は、文庫本の判型で22行(約2ページ)の1段落分が一つの長文になっています。どこが主語で、どこが述語であるのか、語句相互の関連性はどのようになっているのか、一読しただけで理解できる人がどれほど存在するのかわかりません。

もともと1970年代後半に発表された当時は、書籍化された際の「はじめに」はなかったはずで、そこに書かれているように、書くこと・批評することの不自由さが文章を読み解く手懸りであることも示されてはいなかったでしょう。

映画作品にせよ、文学作品にせよ、何を対象に批評を行うにも、その芸術形態の制度から自由になることは難しいでしょう。制度は目に見えるものだけでなく、ものの見方や捉え方に深く根ざしており、制度として自覚されないものもあれば、制度として確認されたとしてもその限界を確認しながら批評を書くことは、通り一遍の表現で済むものとは思えません。

特に映画を読み解き作品を批評するということになれば、一方で文章を書くという創造的な行為もあれば、まず作品を見るという感覚的な行為もあります。鑑賞という行為から文章化するという行為へと移る間に、正確に書こうとすればするほど、文章が通常の形態から外れていってしまうのかもしれません。

また、作品に対するあこがれや嫉妬を自覚した上でそれを告白したり乗り越えたりしなければならないのが批評という作業であるとすれば、表面的に読みやすい文章で、書きたいこと・伝えたいことが表現できるとも思えません。

そして、ストーリー、登場人物、作品中に描かれている風景など、通例となる批評文で言及されているであろうことも、映画作品で描かれているものを紹介するのではなく作品を批評する際の素材として捉えるならば、それらを文章化してみせることの不自由さから逃れる術はないことを自覚しなければなりません。

と、ここまで、久々に「表層批評宣言」を手に取ってみて、映画を見ること・批評することを改めて考えてみた次第です。

 

さて、「表層批評宣言」が文庫化された頃、蓮實氏は自らの名を責任編集として掲げて新たな映画雑誌を創刊します。それが「季刊リュミエール」です。その創刊号にある「創刊の辞」の冒頭を紹介します。

 

 季節がめぐりくるごとに、一冊ずつ雑誌を刊行しようと思う。誌名は「リュミエール」、映画の雑誌である。一年に四回、あたりに注がれている光線の推移につれて、雑誌も、その表情を微妙に変えてゆくだろう。季刊を自称するからには、何にもまして光に敏感でなければなるまい。いま、われわれのまわりに降りそそいでいるのはどのような照明なのか、そしてそれは、どのような物影をきわだたせようとしているのか。(「季刊 映画 リュミエール1 1985-秋」『創刊の辞』より)

 

 この文章から何を創刊するのか、何を意図して創刊するのか、理解できるでしょう。具体的な映画作品及び映画作家について、年に4回、光を当てていこうとする雑誌なのです。

この雑誌「リュミエール」は映画雑誌とはいっても、スターの写真や名場面の紹介などはほぼありません。あくまで映画について、監督などの当事者や批評家・研究者が語る場としてのメディアです。映画批評という光を映画作品に当てることで、映画作品もまたその表情を微妙に変えていく、その光や表情を敏感に捉えることを企図しているはずです。光と同時に、影についても際立たせようとする意図も明示されています。

ちなみに、その創刊号の内容は次の通りです。

 

山田宏一構成「それはリュミエールからはじまる」

特集=73年の世代

W.ヴェンダース・インタビュー「『パリ、テキサス』で私は最後のアメリカ映画を撮ったつもりだ」

蓮實重彦「ガラスの陶酔―ヴィム・ヴェンダース論」

畑中佳樹「『パリ、テキサス』または砂漠からの目覚め」

金関寿夫「ライ・クーダーは語る」

厚田雄春インタビュー「私は小津監督の「キャメラ番」でした」

澤井信一郎インタビュー「ビクトル・エリセは過去の映画を豊かに勉強した人だと思う」

松井悠「ビクトル・エリセから送られるもの」

V.エリセ「スタンバーグの秘かな冒険」

D.シュミット・インタビュー「『トスカの接吻』と『ルル』死にかけた映画と死にかけたオペラのために」

C.テッソン「オペラの亡霊たち」

松浦寿輝「クリント・イーストウッドは男のなかの男である」

C.イーストウッド・インタビュー「私の額には西部劇の聖痕が刻まれている」

73世代のフィルモグラフィーとして、ヴィム・ヴェンダース、ヴィクトル・エリセ、ダニエル・シュミット、クリント・イーストウッドの監督作品のリスト

淀川長治インタビュー「ぼくらはみなアメリカ映画育ちなんだ」

沢田康彦「ジョン・フォード一家の残党に会う」

A.  タッソーネ&M.テシエ「『乱』と黒澤明をめぐって」

山根貞夫「最後の加藤泰」

山田宏一・山根貞夫・蓮實重彦「映画を輝かせるために」(座談会形式の映画評論)

『パリ、テキサス』シナリオ完全採録、書評、コラムなど

 

 自らヴィム・ヴェンダースの作品を論じる文章もありますが、創刊の辞やインタビューや座談会など論考ではなく語る・喋る言葉が続きます。話がとびとびになりがちですが、わかりやすいことも事実です。

それから35年が経ち、「見るレッスン 映画史特別講義」が書かれます。

 

まずこの書物を読んでくださる方々にお願いしたいのは、世間で評判になっている映画ばかりを見るのではなく、評判であろうとなかろうと、自分にふさわしい作品を、その国籍や製作年代をこえて、自分自身の目で見つけてほしいということです。そのためには、妙に身がえることなく、ごく普通に映画を、見ていただきたい。蓮實個人の視点など学ばれるにおよびません。もっぱら自分が心から共感できる作品を見つけるために、映画を見ていただきたい。(「見るレッスン 映画史特別講義」『はじめに 安心と驚き』3ページより)

 

本書の「あとがき」で明らかにされているように、著者は新書嫌いというか、新書は書かないと心に決めていたそうです。しかし、映画批評家として映画史の特別講義を行うというインタビュー形式でこの新書をまとめるに至るのですが、これが結果的に読みやすさにつながっていることは否定できません。

一般に新書は一定の時間(1時間とか東京から大阪にのぞみで移動する時間)で一気に読み切る分量と読みやすさを出版(編集)サイドは意図して製作するそうですが、こうした意図が、書こうとすることを正確に書くことにより却って読みにくくなってしまうことを回避することにつながっているのかもしれません。

以下に本書の内容を紹介します。

 

第一講 現代ハリウッドの希望

第二講 日本映画 第三の黄金期

第三講 映画の誕生

第四講 映画はドキュメンタリーから始まった

第五講 ヌーベル・バーグとは何だったのか?

第六講 映画の裏方たち

第七講 映画とは何か

 

第一講では、映画は90分で描けるという説が出てきます。以前のハリウッドではプロデューサーが映画は100分(それ以上長いと観客が飽きてしまうから失敗する)ということに拘り、ファイナルカット(編集決定権)を監督ではなくプロデューサーがもつことで、プリントを切って短くしたというエピソードは、さまざまな作品について読んだ記憶がありますが、ここでは映画の構成について論じています。90分の作品の撮り方は完成しているが、150分の作品の撮り方はいまだに完成していないという指摘や、映画は物語を辿るものではなく、被写体がキャメラに収まるものであるという映画観に、われわれも耳を傾けるべきでしょう。

第二講では、若手の映画作家たち、女性のドキュメンタリー映画監督、障がい者の日常を捉えた作品、見るべき日本の女優たちについて紹介しています。

第三講では、映画の歴史を振り返りながら、映画批評家の責務として、映画史に何らかの形で貢献することが求められます。そのためには未発見のプリントを発掘する気概を持たねばならないことを主張し、著者のロシアでの経験(7678ページ)を語っています。

第四講では、日本のドキュメンタリー映画史を語ります。劇映画の歴史は多少なりとも知っている人は多いでしょう。ドキュメンタリー映画の歴史となると、そもそもドキュメンタリー映画自体を観たことがない人も多く、知らない人ばかりと危惧されます。

第五講では、フランスで起こった映画の運動であるヌーベル・バーグについて具体的な作品や作家を含めて概説します。日本のヌーベル・バーグについても、著者と同じ映画研究会にいた先輩の中島貞夫の『893愚連隊』を唯一のヌーベル・バーグと評しています。数多くの作品や監督に言及しているので、映画や映像を研究しようと思えば、批評家だけでなく監督や技術スタッフや俳優を目指す人たちやアーティストなど映画や映像表現に関わる可能性があるならば誰もが、ここで挙げられているものだけでも一度は見ておくべきでしょう。

第六講では、監督以外の映画製作に関わる主要スタッフとして、キャメラマン(カメラマンとは呼ばない点に注意)、脚本家、美術監督、プロデューサーについて論じます。

第七講では、映画の現在を気遣います。東京国際映画祭の問題点にも言及していますが、リュミエール創刊時にも始まったばかりの東京国際映画祭の課題を指摘しており(「季刊 映画 リュミエール1 1985-秋」179ページ)、日本の映像産業がグローバルなマーケットへ打ち出すのにうまく機能しない状況は変わっていないと思わざるを得ません。

 

今夏、3年半ほど前に買ったままになっていた本書を読みながら、著者の文章にチャレンジした(けれども歯が立たなかった)学生の頃や、読み応えのある映画雑誌を買っていた社会人になったばかりの頃を思い出す契機ともなりました。

そして、今の映画と映画批評をより一般の人々に向けて語る本書「見るレッスン」には、“映画史特別講義”という副題があるように、歴史を明らかにしていくために事実を集める作業を批評家が担うという姿勢がはっきりと表現されており、伝えるべきことをきちんと伝えるには、適切な文体が必要となることも理解できます。

批評を書くということを正確に論じようとしている「表層批評宣言」、映画批評をより専門家にも一般の人々にも伝える雑誌「リュミエール」とともに、本書も映画作品や映画批評のありかたを今問うているのです。

 

(3)に続く

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2024821日更新)