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2025年冬の3冊(2)~「フランス教育システムの歴史」

2025年冬の3冊(2)~「フランス教育システムの歴史」

 

次に採り上げるのは、「フランス教育システムの歴史」(ヴァン・サン・トゥロジェ/ジャン⁼クロード・リュアノ⁼ボルバラン著、越水雄二訳、2024年白水社文庫クセジュ)です。本書はタイトル通り、フランスの教育に関する歴史をその制度や形態の面から政治・宗教・経済・社会の変動と結び付けて概説するものです。

本書の章立ては次の通りです。

 

第一章    学校と権力―教会から国家へ

第二章    学校知の構築

第三章    教育実践の進化と教授法をめぐる論争

第四章    自律と集権化の狭間にある学校

第五章    職業への教育―同業組合から技術教育へ

第六章    学校と不平等

第七章    学校における技術革新

 

これらの章立ては、以下のような問題意識に基づいています。

 

   学校と政治権力および宗教権力との関係はどのように移り変わってきたのか

   学校知(学校で教えられる知識、社会で求められ形成される全ての知識が学校で教えられることはない以上、学校で教えられる知識は選択的なもの)はどのように作り上げられてきたのか

   学校知を伝達する(教授する)ためにどのような方法が採られてきたのか

   学校という制度はどのようにどのような組織から構成されてきたのか

   職業に向けた教育と学校との関係はどのように移り変わってきたのか

   実際にどのような人々がどのような教育を受ける機会があったのか

   社会における技術革新はどのように教育に影響を及ぼしてきたのか

 

本書がユニークなのは、これらの問題意識をもって、全ての章で古代から現代までを俯瞰していることです。具体的に言えば、古代のギリシア・ローマ時代の言及から始まり、中世の宗教や教会および大学を扱い、印刷術の発明や宗教改革の時代を経て、フランス革命やナポレオン帝国での教育の変化を述べ、近代国家による宗教からの教育の最終的な解放、そして第五共和制で極まる教育の中央集権化を経て、現代に至ります。

これらの時代の認識や区分と先ほど触れた問題意識がマトリクスになって本書が構成されています。そういう意味で、フランスという国家が成立する以前も含めて、フランスの教育システムにまつわる主要な問題、即ち本書が意識する7つの問題について網羅的に論じています。

こうした構成のためか、どうしても記述はやや平板なものとなります。説明を進める進行役のようなものを登場させてストーリーを語るか、説明役と聞き役を設定して会話体で記述するか、何らかの表現上の工夫が求められるかもしれません。

 

さて、本書を一読して日本の教育と比較して思うのは、以下の6点です。

 

   字を読み書きするといっても、フランスでは宗教が強い時代ではラテン語(もともと聖書がラテン語だった)が必須であったが、日本でも古代社会では中国語(漢文)が公的な文書であったり、仏教も外国語(外来語)であったりした

   古代から中世あたりまでは教育=学問=宗教関係の書籍を学ぶことであり、法律や契約などの文章を作成し理解することも必要とされるようになったが、それらに関わる人々はかなり限定的であったことも共通している

   近代国家が成立し一般の市民を徴兵するようになると、識字率を向上させたり数学や度量衡を使いこなしたりすることが軍事的に求められるため、国家が教育を統制して責任を持つようになる動機が生じてくるのは、フランスも日本も同様だろう(フランスはより強く要請されるものだったらしい)

   第二次大戦後で比較すると、日本では進学塾・予備校・習いもの(〇〇教室とか××スクールといったもの)などの学校外の教育システムが流行していったのに対して、フランスでは学校外の教育システムには言及がない

   東アジア的な感覚では、現代の教育は機会も内容も平等でなければならならず、結果は公平な試験の結果のみによるという発想が強い印象をもつが、フランスでは16歳までの義務教育の機会が平等に与えられている以上のこと、即ちリセやコレージを経由して受ける高等教育は、貴族やブルジョアのもので、一般市民は職業教育までという伝統的な価値観がまだまだ支配的らしい

   職業教育や社会人教育(生涯教育)については、日本が質量ともに十分とは思えないが、フランスはそれ以上に不十分ではないかと推察される(そもそも言及がない)

 

 本書はもともと2006年に初版が発行されました。この本は20021年の第6版を翻訳したものです。従って、デジタルテクノロジーに関する教育及びEラーニングやリモート教育についても考察はあります。

著者たちの記述からは、それらがこれまでの教育システムに根源的な影響を与えるようには読み取れる部分はなく、教育はフランス人たるフランス人を作るものであるのに止まるようです。新しい社会のありかたやこれからのテクノロジーに対して教育は受け身であり、そうした変化にテクニカルに対応するものと考えているのかもしれません。

こうした点は、日本も同じようなものと思われますが、それでよいのでしょうか。少なくとも教育のコンテンツに関しては、従来の教育システムとは一線を画すものが続出していますし、語学やプログラミングやファイナンスなどの分野だけでも教育すべき内容も大幅に変えていかざるを得ないのではないでしょうか。

 

【注1

バカロレアについての概説は次の記事に参照ください。

日本人が驚くフランスの「超学歴社会」。新卒採用がほぼなく、高校生の段階で「収入格差」が決まる現実(All About) - Yahoo!ニュース

バカロレアも大学進学の普通バカロレアではなく、専門職向けの技術・工業バカロレアや職人向けの職業バカロレアもあるそうですが、バカロレアを合格するための塾や予備校はないのでしょうか。

 

(3)に続く

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2025113日更新)