仕事に対して処遇するには(5)
前回まで組織が「仕事」に対して処遇する意味や狙いについて述べてきましたが、そうした組織で働くには、そこで働く個人にもこれまでとは異なる労働観や生活設計が求められます。今回は「仕事」が処遇の基軸である組織で働く人がキャリアやワークスタイルの面で忘れてはならないポイントを解説します。
さて、そういうポイントを列挙すると次の5点となります。
● キャリアの主導権を自ら握る
● “自己資本”の拡張・充実を目指して動く
● キャリアのリスクを認識して対処する
● 処遇は下がることを前提に生活を組み立てる
● 最初に働く場の重要性を忘れない
まず、何はともあれ重要なのは、キャリアの主導権を働く人それぞれが自ら握ることです。
事業環境が変わり戦略が変われば、組織のありかたや業務体制も変わるのが必然です。その結果、仕事が変化したり、特定の仕事がなくなったりすることもあります。そうであるが故に、組織が一方的に個人のキャリアを計画してその実現を保証することは、原理的に不可能なことです。できもしないとことをできると言うのであれば、それは虚偽であり欺瞞です。
「仕事」に対して処遇する組織で働くのですから、どのような「仕事」を選ぶのかが個人のキャリアを考える出発点になります。その組織にない「仕事」を選ぶことはできません。あくまで、提示されている「仕事」の中から、自分に合っていると思える、自分ならできると思う、これならばやってみたいと思う、これだけの報酬をもらえるのならばやる意味があると感じられる、そういう「仕事」を選ぶことになります。
反対に、ある「仕事」を実際にやってみた結果、自分には向いていない、結果が出ない、社内外の関係者に「仕事」の結果やプロセスを評価されない、やりがいが感じられない、「仕事」はしたが能力やスキルは向上したとは思えない、「仕事」に費やした労力や時間が報酬に見合っていない、これ以上「仕事」を続ける気力や体力がないなどと感じるのであれば、その「仕事」を当然やめます。もしやめずにいたまま、自分に経済的・精神的・肉体的・社会的な問題が生じたとすれば、正に自己責任と言わざるを得ません。
そもそも選びたい「仕事」がなかったり、選んではみたものの他の人がその「仕事」に選ばれてしまったりして、社内失業者となってしまったのであれば、他社に転じるしかありません。どのような組織に転じるにせよ、転職先を決めるのは組織ではなく個人です。
このように、キャリアの主導権を働く人一人ひとりがしっかりと握っておくのが、「仕事」に対して処遇する組織で働く上で覚悟すべき大前提です。
もしキャリアの主導権を組織に引き渡して、自らはキャリアの責任をもちたくないのであれば、それもひとつの労働観です。その労働観に合ったワークスタイルを実現できる組織に所属して、組織の論理に従って働くというのも間違ってはいません。むしろ、そういう労働観で働いている人のほうが、今でも多数派を占めるのではないでしょうか。
ただ、そういう意味での多数派の人たちが、「仕事」に対して処遇する組織で働くことを強いられるようになると、そもそも「仕事」を選ぶということの意味ややり方がわからないので、組織において果たすべき役割や達成すべき業績という面では全く機能しないでしょう。特に事業再生やM&Aなどに迫られている組織では、事業戦略の見直しや組織の再構築などを通じて「仕事」の再定義が行われるため、キャリアの主導権を働く人に押し付けることもよく行われます。例えば、整理解雇や早期退職及び部門売却による転籍などが一般的な形態です。
結局、働く人ひとりひとりが、いつ何時キャリアの主導権を握らされるのかわかりません。そうであれば、最初から働く人それぞれがキャリアの主導権を自ら握っておく覚悟をもって、しっかりとキャリアの主導権をもつほうがいいいでしょう。
次にしっかりと考えて採るべき行動は、“自己資本”の拡張・充実を目指して動くことです。
ここでいう“自己資本”というのは、もちろん財務的な意味合いではありません。学歴や公的資格そのもの及びそれらを得る過程で身につけた自分なりの学習経験やメタラーニングの特徴、実務的な教育やトレーニングで得たもの、実務経験そのものなどをいいます。いわゆる人脈とか影響力というものも、本人があると思っているほどではないとしても、ここでいう自己資本の一部を成すものです。“自己資本”とは目に見えない資産であり、絶えず拡張したり充実したりしていかないといつの間にか毀損してしまうものです。
キャリアを形成するのに必要な教育訓練や研修受講の責任は最終的には個人にあります。組織はそのための機会を提供することはできても、その機会にチャレンジする自由、断る自由が個人にある限り、最終的な責任は個人に帰属します。まして、現在所属する組織の他にもキャリアを求める自由が個人にある以上、その自由を実現するのに必要なもの=“自己資本”を拡張し充実するのは、その人自身に他なりません。
言い方を変えれば、自分のキャリアを考えた際に、現在いる組織や現に担当している「仕事」が“自己資本”を拡張し充実するのに役に立つところがあるのであれば、他の処遇条件が多少不本意であったとしても、一定の結果が出るまでやり遂げてみるほうがよいでしょう。
“自己資本”のなかで誰もが必要なものの代表として交渉力があります。一般的に言って、よほど最先端のテクノロジーやアートの分野でない限り、「仕事」を提示する組織のほうが「仕事」を引き受ける個人よりも交渉する場や能力を有しているでしょう。とは言え、組織との間で「仕事」を巡って交渉することは必要不可欠なので、その交渉力を自ら身につけるか、交渉力のある手段を活用するか、その両方を使うのか、いずれにしても交渉は不可避です。
そのためには、交渉力を有することともに、交渉の材料を整理して用意しておかねばなりません。交渉の材料というのは、「仕事」に関する自分の実績・能力・スキルなど職務に直結するものだけでなく、「仕事」をする際の労働条件や就労条件及び個人的な事情(自身の身体や精神などの状況、家族や住居などの状況、経済的な事情など)など「仕事」を引き受ける上での諸条件についての優先順位なども広く該当します。
ここでひとつ注意しておきたいのは、転職エージェントの活用です。通常、転職エージェントというと、転職を希望する個人に手持ちの求人案件から最適と思われるものを紹介するものでしょう。こうした形態は、弁護士業務や不動産取引でいえば双方代理に相当し、本当の意味での転職エージェントとは言いかねます。
転職エージェントというからには、転職希望者のエージェント=代理人として、転職者の意向を受けてその利益を最大化するように動くべきです。転職先候補が違えば、異なる職務経歴書を自動的に用意して、事前にリモートでもよいので想定面接を行うといった、いわば、AIならぬIA(インテリジェント・エージェント、IT装備の代理人)が求められます。現実には、そうした動き方をする転職エージェントはあまり存在しないとすれば、交渉力は自ら身につけるしかありません。
交渉力というと、こちらの言い分や条件を強引にでも押し通すスキルやマインドセットと思われるかもしれません。しかし、実際に「仕事」を提示する組織は「仕事」をして結果を出して欲しいのであって、その可能性を説得できるだけの材料があればよいのです。自分の職務経験などの実績データを蓄積しておいて、提示される「仕事」に対してどのような貢献ができるのか、またどのように結果を出すつもり(手段やプロセスなど)なのか、具体的なプランを示すことが求められます。「仕事」の内容によっては、業界分析に基づくビジネスプランや現状のデータに基づく業務改革案などを示すことで交渉を進めることができるかもしれません。
その際に、同じ業界や同じ職種での経験がアピールするのか、違う業界や異なる職種での経験こそが活きるのかは、組織の側の状況や事業環境の動向にも因るでしょう。金融や流通での顧客対応の経験が官公庁などの窓口業務や問い合わせ対応の業務に役立ったり、営業経験や開発実績に優れた人が未経験の人事に異動して採用などで貢献したりするなど、異業種や未経験こそが成功のカギという例を多く耳にします。
ここで言う“自己資本”としての交渉力をもつには、毎日でも職務経歴書を更新できるかと思うくらい、実績の積み重ねを記録しておくことです。1日終わって何も変更すべきものがないのであれば、今日は何も“自己資本”を拡張・充実することがなかったと自ら反省すべきでしょう。その蓄積の上に、「仕事」を提示している組織のことも理解した上で、その組織の実情に可能な限り対応したプランを提案し説明することが交渉力の核になります。報酬や勤務形態などの条件についての交渉は、その後の作業に過ぎません。
ここで述べたような蓄積をもとに転職や異動の希望先に向けて、所定の短い期間にいくつもの応募書類を提出することは極めて困難です。自分のやってきたことを相手が興味を持つような表現でまとめるには、時間的な制約もあっては、AIなしでは不可能でしょう。 “自己資本”を職務経歴書や応募動機の形で表現するには、最初から生成AIなどを活用して効率よく応募書類を作成していくことが求められます。
一方、「仕事」を提示する組織の側から言えば、“自己資本”の拡張・充実にプラスになると多くの人々が思うような「仕事」を提示することができるかどうかが、社員を引き付け繋ぎとめるのに最も効果があります。それ以外の処遇上の条件の違いを是正することに注力するよりも、まずはこうした魅力ある「仕事」を提示できているかどうかを経営者や人事責任者は自ら問うべきです。
「仕事」が処遇の基軸である組織で働く人がキャリアやワークスタイルの面で忘れてはならない第三のポイントは、キャリアのリスクを認識して対処することです。キャリアのリスクというと、「仕事」を基軸に処遇する以上、「仕事」がなくなる虞が最大のリスクであることは論を俟ちません。ただ、そうした誰でもわかるリスクが全てではありません。
例えば、同じ組織に長年(10年以上)所属したまま、同じ職能分野や同じ事業領域で成功して昇進を重ねていく、というのはキャリアアップという点では成功ではあるように思えるかもしれませんが、見方によってはハイリスクと言わざるを得ません。というのも、こうした形でキャリアを積み重ねて昇進していくほど、そのキャリアにはダウンサイドのリスクがあることを忘れてしまいがちだからです。また、キャリアチェンジに迫られた経験もないまま、高いポジションでキャリアチェンジを唐突に迫られることも危惧されますが、そうした事態に容易に対処できるとは思えません。
従って、会社の業績不振や主要株主の変更などにより、ある日突然、全く経験もなく自ら進んで希望したわけでもない「仕事」に就くことを迫られたり、早期退職や強制的な転職プログラムを適用されたりして、キャリアチェンジを余儀なくされた際に、キャリアのリスクを考えたこともなければ適切に対応する術もない状況に陥りかねません。
もちろん、無計画に転職を繰り返すだけではキャリアのリスクも何もありません。しかし、転職に迫られたことがないまま、社会人として長年過ごしてきたという状況もまた、高年齢者でも長く働くことになる時代である故に、キャリアにおける大きなリスクを抱えていることを自覚すべきでしょう。
第四のポイントは、処遇は下がることを前提に生活を組み立てることです。特に、働く期間が長くなればなるほど、処遇が良くなり続けることはあり得ませんし、一定の年齢を超えると現状維持も困難であることを銘記しておかなければなりません。
この点は、第三のキャリアのリスクについての認識と同様で、「仕事」を処遇の基軸にする組織では、いかに長い間順調に給与が上がるなど処遇が向上し続けたとしても、いずれかの時点が必ず報酬水準が低下したり福利厚生プログラムが一部なくなったりします。それも急に生じることが往々にして起こりがちです。
もともと処遇水準が変動することに慣れていれば、急に報酬が下がったからといって慌てて生活水準の見直しや生活費の削減に走らなくても大丈夫かもしれません。介護や育児休業、自分の病気や怪我、留学など、時には自ら進んで報酬水準を下げて「仕事」を選ぶこともあるでしょう。
どのようなタイミングで処遇の内容や水準が変動するのか、経営層でもなければ容易に読み切れないでしょう。そこで、絶えず、処遇の条件に優先順位を明確につけておくことが望まれます。子供の教育が重要な時期であれば、そのための費用が賄えることを最優先にするとか、地理的な条件から通勤が困難な状況にあれば、借り上げ社宅などの住宅支援プログラムや新幹線通勤の費用を会社負担にするなど、福利厚生制度のほうを現金報酬などよりも優先的に考えるといった点で、組織と交渉してもよいでしょう。
もし、固定的な給与は相場よりも高く、変動的な報酬も多くもらい、労働時間も短く、通勤しやすい場所にあり、オフィス環境も申し分なく、社食も充実して、資産形成プログラムも欲しいというのであれば、それはもともと無理な相談です。自分にとって優先順位の高いものに絞って組織と交渉するくらいでなければ、提示された「仕事」を断ることもできません。この点でも、“自己資本”としての交渉力は誰にとっても必要で重視すべきスキルなのです。
ちなみに、世帯でダブルインカムでれば、低いほうの収入に見合った生活水準を維持していくほうが望ましいでしょう。高いほうを前提とすると、それが失われた時に、即時に生活の見直しが必要になり、職がない上に生活を切り詰めなければならない状況に追い込まれるのは、多大なストレス以外の何物でもありません。
独身者ではそうした心配はありません。というよりも、全てのリスクを自分一人で負っている以上、自分の収入に見合った生活水準しか実現しようがありません。むしろ、生活水準は収入よりも控えめなレベルに抑えておいて、収入がある内に着実に資産形成を図っておくことが、“自己資本”の拡張・充実と並行して取り組むべきテーマとなります。
いずれにしても、何かあった時の保障手段は必要なものです。資産形成は経済的なショックアブソーバーに、“自己資本”はキャリア面でのショックアブソーバーに、それぞれ不可欠です。
最後に、最初に働く場の重要性を忘れないことです。これは逆説的に聞こえるかもしれませんが、「仕事」を処遇の軸に置くと多くの人々がキャリアを通じてさまざまな職場を経験することが予想されるからこそ、最初の選択をどのように行ったのか、そしてその最初の職場で何をどのように学んだのかが、その人のキャリア全体を通じてキャリア観やキャリアの主導権に決定的な影響を及ぼしていくからです。
実際、第一のポイントで述べたことを、大多数の人々が最初に働く際に自覚的に選択することができるとはとても思えません。実際に社会に出て働いてみて、初めて自分の属している組織がどのような論理や仕組みで動くものなのかが理解できるようになるのでしょう。
現実は、こうしたことを理解しようともしない人もいれば、キャリアの最初の選択を他人に任せてしまう人々も少なくありません。親や友人、学校関係者や就職予備校的な機関の関係者などの言うことを鵜呑みにしたり、他人に言われるままに就職活動をしたりする人たちが、次のキャリアに関する意思決定を適切に行うことができるとは、とても思えません。
とは言え、過去の事実は変更しようがありません。まずは、最初に働いた場を客観的に振り返って、そこで学んだ教訓や失敗した事象などをリストアップしてみましょう。
今の「仕事」、今後挑戦したい「仕事」、できれば避けたい「仕事」、そうしたものを考える際に、最初に働いた場とそこで行った「仕事」を改めて見直してみることです。その結果、自分が「仕事」を選んだり、その職場で働いたりするのに決め手となるもの、例えば、「仕事」を通じてのキャリアアップ、達成感や顧客からの評判、報酬や勤務体制などの労働条件、職場の人間関係やカルチャーなど、何が自分にとって大切なものであるか、その優先順位はどのような変遷を辿っているのか、客観視してみましょう。
そうしたキャリアの積み重ねのスタートとして、入社当日に退職した組織であったとしても、それを客観視するマインドセットが重要なのです。キャリアの最初に失敗があったとしても、そこから学んで自らキャリアの主導権を握るように行動していけばよいのです。
概略ですが、「仕事」を処遇の基軸に置く組織で働く個人にとって、キャリアやワークスタイルの面で忘れてはならないポイントを5つ説明しました。
作成・編集:人事戦略チーム(2025年4月3日更新)